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スペインの地方選挙に見る複雑な事情

2012年10月22日

スペインの地方選挙に見る複雑な事情

 本日(10月21日)スペイン北部のガリシア州とバスク州で州議会選挙があります。月曜日の早朝には結果が判明しているはずですが、スペイン政府がECBにスペイン国債を購入してもらうために必要なユーロ圏への支援要請に影響が出る可能性があります。

 スペイン現政権の緊縮財政に反対する政党が勝利を収めると、支援要請が出来ず金融市場が混乱する以外に、これらの州(自治州)の分離独立機運が一層高まってくるからです。
 
 さらに11月25日には、バルセロナを含むカタルーニャ州でも州議会選挙があります。

 スペインでは独裁者フランコ統総の死後、1978年公布の憲法で自治州制度が導入され、全土が17の自治州に分けられました。自治州に認められている自治の度合いはそれぞれの州によって違いますが、もともと民族・歴史・言語・宗教などが比較的違う北部のガリシア州とバスク州それに南部のカタルーニャ州とアンダルシア州では、特に大きな自治が認められています。

 今回はこれらの州のうちの3州で州議会選挙があります。ただスペイン憲法でも自治州の独立を問う住民投票は禁じています。

 従ってすぐにこれらの州がスペインから独立する可能性は無いのですが、今回の州議会選挙の結果によっては金融市場の混乱を引き起こすだけでなく、今後も分離独立機運が高まりスペインの政治が混乱し、結果的にユーロ圏全体が混乱する可能性が強くなります。

 ラホイ現首相の出身地でもあるガリシア州には衣料品大手のインディテックス(ZARA)本社があり、またカタルーニャ州は人口730万人(スペインの全人口は4700万人)を抱える経済の中心地であり、それぞれ「何でスペイン全体の経済不振のために緊縮財政を強いられるのか?」との不満があります。

 またバスク州はもともと民族の団結と誇りの強いバスク人の州で、所得水準も比較的高く最も分離独立機運の強い州です。余談ですがバスク人の85%の血液型はRhマイナスだそうです。またクロマニヨン人の直接の子孫であるとの説は最近否定されています。

 ところが分離独立についてもっと話が進んでしまった国があります。ユーロ圏ではないのですが英国です。

 10月15日に英国のキャメロン首相とスコットランド自治政府のサモンド首相が、2014年までにスコットランド独立を問う住民投票を行うことで合意してしまったのです。

 そもそもスコットランドは1707年に英国と統合されたのですが、現在の英国王室のルーツはスコットランド王・ジェームス6世(イングランドではジェイムス1世で、エリザベス1世に処刑されたメアリー・スチュワートの息子です)で、もし独立したらスコットランドだけの王室を復活させるのでしょうか?

 またRBSなどが発行するスコットランド・ポンドは英国ポンドと等価で流通しています。もちろんスコットランドでは英国ポンドも流通しているのですが、逆にロンドンなどでスコットランド・ポンドを出すと嫌がられます。

 もしスコットランドが独立したら通貨はどうするのでしょう?もしスコットランド・ポンドをそのまま使うのでしたら、あっという間に英国ポンドとの等価は維持できなくなり、かなり減価してしまいそうです。

 あと警察は?軍隊は?と考えていくと、英国政府としては「独立出来るものなら、やってみろ」と言ったところなのでしょう。まあサッカーでイングランド代表とは別にスコットランド代表としてワールドカップ予選に出場するくらいに留めておいた方が良いでしょうね。

 でもスコットランドの住民投票が認められたので、カタルーニャ州の独立派は大いに盛り上がっているようです。

 日本でも大阪の橋下知事や沖縄の仲井真知事は、文句ばかり言っていないでいっぺん「独立するぞ」くらいの発言をしてみたらどうかと思うのですが、どうでしょう?

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■為替・金融 » ユーロ | 2012.10.22

なぜ好調な米国雇用統計なのに「ユーロ高」「ドル安」になったのか?

2012年08月06日

なぜ好調な米国雇用統計なのに「ユーロ高」「ドル安」になったのか?

 先週末(8月3日)の米国株式市場は、発表された7月の雇用統計(雇用者数)が予想を大きく上回ったことから217ドル高の13,096ドルと急伸しました。

 ただその前日までは、FOMC(7月31日~8月1日)とECB理事会(8月2日)で具体的な政策変更が見送られて世界的にやや失望感が出ていましたので、まさに状況が「一変」したことになります。

 その雇用統計発表後の金融市場で、どうしても「違和感」を感じたことがあります。

 それはドルが対ユーロで下落したことです。発表前の1ユーロ=1.22ドル台から1.24ドルの直前まで「ユーロ高」「ドル安」となりました(引け値は1ユーロ=1.2386ドル)。

 「大きな変動」ではないのですが、従来の感覚では好調な雇用統計は一層の金融緩和期待の後退となり「ドル高」要因のはずです。確かに対円でみると発表前の78.20円台から78.70台まで「ドル高」となっています(引け値は1ドル=78.45円)。

 特にここ半年くらいは米国の金融緩和の度合がユーロ圏より少なく、2月頃の1ユーロ=1.35ドル近辺から最近の1.20ドル台まで「ユーロ安」「ドル高」となっていました。そこへさらに米国の雇用統計が好調と発表された直後の「ユーロ高」「ドル安」は非常に違和感があるのです。

 それでは逆に「ユーロ高」となるような材料が何か出ていたのでしょうか?

 まず7月26日にドラギECB総裁や独仏首脳の「ユーロを守るためにあらゆる方法をとる」という発言で、特にスペイン国債のECBやESMによる購入が期待され、一時7.7%まで上昇していたスペイン10年国債の利回りが6.6%程度まで低下していました。

 ところが8月2日のECB理事会では「具体的な話」が何もなく失望感が出て、当日のスペイン10年国債の利回りは再度7%に乗せ、上昇していたユーロも下落していました。

 それが米国雇用統計発表のあった先週末は、スペイン10年国債利回りが6.77%まで低下してユーロも上昇となったのです。さらに前日下落していた欧州株式もDAXが4%近い上昇となりました。

 どの報道を見ても「欧州債務危機に対する当局への信頼感がやはり高まった」とか「リスク許容度が高まって(ドルからユーロなど他通貨への投資が増えて)ドル安になった」などとあるのですが、どれも先週末1日で急に変化したわけではないはずです。

 何故こだわるのかと言いますと、「事実(あるいはニュース)」に対する市場の「反応」が従来と違うときは「何か重要な変化を見逃している」可能性があるからです。だからその「何か」を探さなければならないのです。

 ただECB理事会後のドラギ総裁の発言の中に「ユーロは不可逆的だ。不可逆的ということはリラやドラクマに戻ることはないと言うことだ。ユーロの下落に賭けることは無意味だ」というのがあります。

 しかしこれも「ギリシャやスペインのユーロ離脱はあり得ない」とユーロの投機売りを牽制したもので、量的緩和など追加の非標準的措置(つまり思い切った措置)による自然なユーロ安まで否定したものではありません。

 確かにユーロ・ドルの取引は世界的に非常に大きいため、ちょっとした心理の変化でポジションが大きく調整され、どうしてもショート気味の(あるいはアンダーウエイトの)ユーロは「買い戻されやすい」ことは事実です。

 しかし上昇する理由が見つからない中で「わずかとはいえ」ユーロがドルに対して上昇したことは、非常に気になるので引き続き注視していきます。

 先週末は、円は対ドルでも対ユーロでも「円安」となりました。今週(8月8日~9日)には日本銀行の政策決定会合があるのですが、FRBとECBが積極的に動いても「小手先」だけの日本銀行なので、何かインパクトのある政策が打ち出される可能性は「ゼロ」です。

 したがって「円安」が続くとも考えにくいのですが、こちらも注視していくことにします。
 
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■為替・金融 » ユーロ | 2012.08.06

100円を割り込んだユーロについてもう1度考える

2012年05月25日

100円を割り込んだユーロについてもう1度考える

 どうも最近の表題が長くなる傾向があるのですが、本日はこの話題です。

 昨夜(5月23日)遅くに100円を割り込んだユーロは、本日(5月24日)も99円台での取引が多くなり、ユーロ・ドルも1ユーロ=1.25ドル台となっています。

 もう少し長い期間で見ると、昨年秋からのギリシャを含む債務問題深刻化と昨年末のECBによる巨額資金供給を受けて本年1月に1ユーロ=97円まで下落し、その後の世界的な経済回復期待で本年3月には1ユーロ=111円まで回復していました。

 ユーロ・ドルは、一昨年の春に最初にギリシャ問題が出てきた時の1ユーロ=1.2ドル割れから、昨年春に1ユーロ=1.5ドル手前まで回復しており、現在は一昨年来のユーロ安水準となっています。

 最近のユーロ下落の原因は、市場では「ギリシャのユーロ離脱懸念」とされています。

 この点は何回も書いているのですが、統一通貨ユーロ体制の維持そして拡大は、欧州諸国が米国に対峙するために「必要不可欠」なもので、簡単に変形したり崩したり出来ない「政治的戦略」なのです。

 従って多少のことは「運用ルール」の変更でカバーします。事実、サルコジ落選後は「財政再建一辺倒」から「成長と財政再建の両立」への変更を行いました。硬直的な財政再建に固執して、欧州の政治が「極右」や「極左」に脅かされるのは本末転倒だからです。

 5月19日のワシントンG8サミットの首脳宣言のトップにも「成長と雇用の促進は不可欠」が織り込まれ、2番目に「ギリシャがユーロ圏に残ることへの関心を確認」が入れられました。

 ユーロはギリシャを簡単に離脱させません。何故ならそれは「経済問題」でなく「政治問題」だからです。ユーロが「ちょくちょく仕組みが変わるローカル通貨」では米国に対峙できないからです。

 以前は経済的に「ユーロ構成国に問題国が出てくると、離脱させた方がユーロの信認低下を防ぐ」と考えていたのですが、政治的に考えると「ユーロから離脱の前例を作らず、長期にわたってユーロ体制の維持・拡大を続ける」ことが正解のような気がするのです。

 確かに2009年12月末発効のリスボン条約では「EU離脱」のルールが策定され、EUを離脱すればユーロからも離脱できることになったはずです。しかしこの「EU離脱」も、例えば加盟国が共産主義とかイスラム主義に「乗っ取られた」場合を想定しているだけだと最近思うようになりました。

 ギリシャはもともと左翼政党の強い国ですが、ユーロから追放して「もっと左旋回」されては困るのです。

 経済的に考えても「ギリシャを追放して欧州諸国がギリシャ債権で被る損失」と「離脱の前例を作って、ユーロの信認が長期にわたって損なわれるコスト」の合計が、「今まで通りギリシャを金銭的に支援するコスト」より格段に大きいと判断されているはずなのです。

 余談ですが、これらのコストを「日本が600億ドルも気前よく支援する」無意味さと不自然さをぜひ理解して頂きたいと思います。典型的な「国策なき浪費」なのです。

 それでは「経済的」に考えた処方箋は何かというと、「経済成長重視への転換」は大正解で、そのために唯一とれる方法が「ユーロ安」なのです。

 最近のユーロ安は「ギリシャの離脱」を懸念して下落しているのではなく、「経済成長のためにユーロ安が必要」だからです。

 世界はドルも、ユーロも、(多分)人民元も、資源国通貨やその他の新興国通貨も、すべて「引き下げ競争」に入っているのです。

 無策の日本は、強烈な「円高」に襲われます。

 しかし、そこで5月14日付け「改めて日本政府に対する真摯な提言  その4」で書いた「1971年以降、日本経済が負担した膨大な円高コスト」を一気に取り戻し「現在の日本経済のどうしようもない閉塞感」を一気に改善するだめに「戦略的外貨取得」を強力に推進する最後のチャンスだと思うのです。


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■為替・金融 » ユーロ | 2012.05.25

ユーロの行方・ヨーロッパの歴史  その5

2011年07月26日

ユーロの行方・ヨーロッパの歴史  その5


 ユーロの行方やヨーロッパの政治・経済を考えるにあたり、ヨーロッパの歴史、とくに民族や宗教などからユーロ構成国の関係を考えてみようとするシリーズの最終回です

 前回までに出てこなかった国のうち、ポルトガルとスペインについて書いてみます。
両国が大航海時代の先駆者となり広大な海外領地を獲得して巨額の富を収奪するのですが、結局その冨が両国に残らず、結果的にフランス、イギリス、そして遅れて独立するオランダなどに移転し、産業革命を通じてヨーロッパの覇権の原資となっていくのです。

 イベリア半島はもともとローマ帝国の属州だったのですが、ゲルマン人の移動によって西ゴート人が入り込みますが、711年に北アフリカから侵攻したイスラム教徒のウマイヤ朝に征服されます。

 しかし15世紀ころからイベリア半島北部のポルトガル、カスティリア、アラゴンの3王国が勢力を増し、だんだんイスラム教徒を南に追い詰めていきます。

 その中で最も早くイスラム教徒を追放し国家の体制を整えるのがポルトガル王国で、15世紀にはエンリケ航海王子のもとで積極的に海外に進出し、大航海時代が始まります。

 ポルトガル人はイタリア商人に制海権を独占されていた地中海を避け、まずアフリカ大陸西岸を攻めながら南下して喜望峰を回り、1488年にバスコ・ダ・ガマがインドへ到達します。その後は当時の高級品の香辛料を求めてマレー半島のマラッカ、モルッカ諸島(いまのインドネシア)などへ行き、1543年に日本の種子島、1557年にマカオに到達します。

 ただ、その後の世界経済に大きく影響を与えるのは、1500年にたまたまインドを目指していて到達したブラジルです。ポルトガルはそこで原住民を使ってサトウキビの大規模栽培を行い、また金山の発見などもありブラジルの植民地経営で巨額の富を得て、その後のヨーロッパ諸国の植民地経営の先駆けとなります。

 一方、スペインは1479年にカスティリアのイザベル女王とアラゴンのフェルナンド国王が結婚して両国がスペイン王国となり、1492年に最後のイスラム教徒の拠点グラナダを攻め滅ぼしてイベリア半島を完全に取り返します。

 その少し前から、スペインも海外進出をするのですが、ドル箱のアフリカ回りのインド航路はポルトガルが独占していました。そこでジェノバ出身のコロンブスが大西洋を西進してインドへ向かい、結果的にアメリカ大陸を発見します(もっともコロンブスは最後まで、そこがインドだと思っていたようです)。

 それ以後、スペインが中南米への進出を本格化させ、1521年にエルナン・コステスがアステカ王国(今のメキシコ)を、1533年にフランシスコ・ピサロが南米のインカ帝国を征服し、広大な植民地を得ます。

 スペインも原住民を使って大農場や鉱山(1545年に発見されたボリビアのポトシ銀山はなど)で強制的に働かせ、巨額の富を収奪します。

 スペインでは1516年にハプスブルグ家のカルロス1世が即位し(イザベル女王の娘と結婚した)、その息子のフェルナンド2世(在位1556年~1598年)の時代には、南北アメリカ、ネーデルランド(今のオランダ)を領有し、1580年にはポルトガル国王も兼ね、「日の沈まぬ帝国」と言われる最盛期となりました。

 しかし、スペインは植民地からの巨額の富を国内産業の育成などには使わず、ヨーロッパ諸国との領土争いや宮廷の浪費で使ってしまい、1588年に無敵艦隊がイギリス海軍に敗れて大西洋の制海権を失い、あっという間に衰えてしまいます。

 つまり、スペインとポルトガルが広大な植民地から収奪した巨額の富は、結局両国に残らず結果的にフランス、イギリス、その後1648年にスペインから独立するオランダなどが手にし、また同じようにアフリカを含む世界に植民地を経営して世界の覇権獲得のための原資を稼ぎだしていくのです。

 もう1つこの過程で見逃せないのが奴隷貿易です。ポルトガルのブラジルに始まった南北アメリカの植民地経営で、不足する労働者を補うためアフリカから総計で1000万人もの奴隷を連れてきたと言われます。

 奴隷と言うのはヨーロッパ人がアフリカへ行って奴隷狩りをしたと思いがちなのですが、実際の奴隷狩りをしたのはアフリカのベニン(いまのベナン共和国)、ガーナ、ソンガイなどの黒人王国です。

 フランス、イギリスなどはアメリカ大陸から農作物、金銀等を輸入し、代わりに黒人王国が集めた奴隷をアフリカからアメリカ大陸に輸出する三角貿易で巨額の富を得ていたのです。

 つまり、大航海時代を切り開いたポルトガルとスペインは植民地経営で巨額の富を得たものの、国内に留めることが出来ず浪費してしまい、その恩恵を十分に引き継いだイギリス、フランス、オランダなどが資本の充実をすすめ、その後産業革命で更なる発展を遂げ、世界の覇権を握るのです。

 一方、当時神聖ローマ帝国だったドイツは、こういった流れに完全に遅れてしまい、その後の無理な世界大戦の遠因となっていくのです。

 ここまでで、主なユーロ構成国の歴史的な流れを見てきました。

 現在のユーロを支えるのはドイツ、フランス、オランダなどで、問題国がギリシャ、アイルランド(昨年11月26日付け「アイルランドとアイスランド その2」に書いてあるので省略しました)、ポルトガル、そしてスペイン、イタリアです。
 
 そしてノルェー、スェーデン、デンマーク、イギリス(やや語弊があるのですが)といったノルマン人(バイキング)の国はユーロと距離を置いています。

 ユーロの行方を考えるときに何かの参考になればと思います。このシリーズは終わりますが、今後もユーロの問題を考える時に引用していきたいと思います。


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■為替・金融 » ユーロ | 2011.07.26

ユーロの行方・ヨーロッパの歴史 その4

2011年07月20日

ユーロの行方・ヨーロッパの歴史 その4


 先回は、カール大帝の死後フランク王国が3つに分裂したところまで書きましたが、それぞれを少し詳しく見てみましょう。

 中部フランクは今のイタリアですが、すぐにカロリング家が断絶してしまい国家的統一はなくなります。北部にはベニスやジェノアなどの自由都市が発達し、中部にはローマ教皇領、南部とシチリア島はイスラム勢力に支配される分裂状態が続きます。
 イタリアがサルディニア王国によって統一されるのは1861年のことです。

 民族的にも、元々ラテン人の地域でフランク族も間もなく同化してしまうので、イタリアはゲルマン人の国ではなく、結局ローマ帝国時代からのラテン人の国と言うことになります。

 東フランク帝国は今のドイツですが、10世紀初めにはカロリング家が断絶し、有力諸侯から選挙によって王が選ばれるようになります。10世紀にはローマ教皇がオットー1世にもローマ皇帝の冠を授けます。

 最初に冠を授けたカール大帝のフランク王国が分裂してしまっているからなのですが、ちょっと安直すぎる気がします。これにより以後ドイツは神聖ローマ帝国と呼ばれ、これまた1866年にプロイセン王国に統一されるまで存続します。

 ただ東フランク帝国は、民族的には唯一ゲルマン人のアイデンティティを残して現在に至っています。

 西フランクは今のフランスです。ここでも10世紀後半にはカロリング家が途絶え、有力諸侯の中から王が選ばれるようになります。ユーグ・カペーが987年にカペー朝を興しますが、カペー家もパリ周辺を治めているだけの諸侯の一人でした。
 しかしカペー家は、その後分家のブルボン家も含めて、フランス革命を挟んで19世紀まで続くフランス王室を独占していくのです。

 民族的にフランスは、ゲルマン人がラテン人や先住民族のケルト人などと混血し、ゲルマン人でもなくラテン人でもない独特のアイデンティティをもったフランス人となっていきます。

 つまり、今のドイツ・フランス・イタリアはもともとゲルマン人のフランク王国から分裂したのですが、民族的には違ってくることになります。

 ゲルマン人で、フランク人と並んで重要なのがノルマン人(バイキング)です。

 ノルマン人(バイキング)は、今のノルウェー・スェーデン・デンマークの沿岸部に住んでいました。他のゲルマン人の移動が落ち着いた9世紀ころから船に乗って移動を始めます。だからバイキングは「海賊」の代名詞なのです。移動を始めた理由は、他のゲルマン人と同じく人口増加による食料の不足だったようです。

 そして911年に、フランス北海岸のノルマンジー地方に上陸しノルマンジー公国を建てます。国王はロロ(ろろ)といい、まあ海賊の親玉だったのでしょう。

 当時のフランスは、フランク王国が分裂した直後で、カロリング家の王がまだ居たのですが武力的に強くありません。そこで強そうなノルマン人にノルマンジー地方を与え、ロロをフランス王の臣下のノルマンジー公とする取引をしたのです。

 原住地にとどまったノルマン人は、ノルェー・スェーデン・デンマークを建国します。だからこの3国は、いまでも共同でスカンジナビア航空(SAS)を運行するなど親密なのです。偶然かも知れませんが、この3国はいまだにユーロ構成国ではありません。ノルウェーに至ってはEU(欧州連合)にも加盟していません。

フィンランドはフン族が建てた国と言われ、近隣ですがこの3国とは民族・言語が違います。そしてユーロ開始以来の構成国です。また最近ユーロ構成国になったエストニアも民族・言語がフィンランドに近いそうです。

 さて、ここからが重要なのですが、今のイギリスにはゲルマン人のアングロ族・サクソン族が王国をつくっていたのですが、11世紀に入りノルェー・スェーデン・デンマークの王を兼ねるクヌート王(もちろんこの人もノルマン人)が一時占領しイギリス王も兼ねます。

 そこへ、1066年にノルマンジー公ウイリアムがイギリスを征服しノルマン朝を建てます。
ウイリアムはもちろん海賊の親玉ロロの子孫で、ウイリアム征服王と言われ現在まで続くイギリス王室の始祖です。(イギリス王室は海賊の子孫なのです!)-

 しかし、ここでイギリスとフランスの関係がいっぺんにややこしくなります。

 つまりイギリス国王となったノルマンジー公ウイリアムは、実際はフランス王の臣下であり、フランス国内にあるノルマンジー公国はイギリス領ということになるのです。

 さらに、その後イギリス王にフランスの王位継承権があったりして「ねじれ現象」が続き、100年戦争(1339年~1453年)の原因となっていきます。

 現在でもイギリスとフランスの関係が割合微妙なのは、この辺の影響もあると思います。

 ここまで書いてもまだ、スペインもポルトガルもアイルランドもオランダも出てきません。でも書いているうちに私の頭もだいぶ整理出来てきましたので、もう少しこのシリーズを続けることにします。

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■為替・金融 » ユーロ | 2011.07.20
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