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ドル基軸通貨体制の変遷と今後  その3

2010年12月20日

ドル基軸通貨体制の変遷と今後  その3

3)変動相場制とプラザ合意

 前回までは、戦後の「ブレトンウッズ体制」と言われた「金・ドル本位制」が、1971年8月15日のニクソン大統領による突然の「金・ドルの交換停止」で瓦解し、ドルを金や各国通貨に対して切り下げた「スミソニアン体制」による再スタートを切ったものの長続きせず、1976年から完全変動相場制に移行したところまで書きました。

 ドルの基軸通貨体制は続いていたのですが、金(きん)という価値の裏付けのなくなったドルは、以前よりもアメリカの政策や経済状況によって変動するようになりました。
 1981年1月に就任したレーガン大統領は、それまでの2桁インフレを克服するために、猛烈な金融引き締めを行い、金利を2桁に維持しました。ボルカーFRB議長の時代です。
同時に大規模な減税で経済の立て直しを図り、同時に軍備を拡充して「強いアメリカ」を標榜しました。これらの政策を「レーガノミックス」と言います。

 これにより、カーター大統領の時代に175円くらいまで下がっていたドルが上昇し始め1985年には260円台をつけるようになりました。
 ところが、「レーガノミックス」の結果として、財政赤字と経常赤字が膨れ上がり「双子の赤字」と言われ、基軸通貨のドルは非常に不安定な状態となっていったのです。

 ちょうどそのころ、日本では生保や信託銀行等の機関投資家や、郵貯・簡保等の公的機関が争って外債投資を増やしていました。2桁金利の米国債や、もっと高金利の豪州国債などを争って買っていました。もちろん為替はヘッジなどせずに250円台のドルをなど買っていたのです。

 1985年9月22日に、ニューヨークのプラザホテルで先進5カ国(当時はG5でした)の蔵相・中央銀行総裁会議が行われ、協調介入によるドルの切り下げが決められたのです。日本からは竹下蔵相と澄田日銀総裁が出席しました。

 そして翌日からなりふり構わない協調介入が行われました。米国自身も参加して、ドルを対円、対マルク等で売るわけですが、6週間程度をかけて総額180億ドルの介入と言われていました。
当時の為替レートでも4兆円くらいのものでしたが、スタート時が242円くらいだったドルは、その年の年末には200円を割り込み、1987年には150円くらいまで下がってしまいました。
逆に、今度は協調介入してドルを支えようと言うことになったのですが(ルーブル合意。1987年2月)、ほとんど効き目はありませんでした。

 米国にしても、なんとかドルを支えるために、1987年9月にボルカーの後任のグリーンスパンFRB議長が公定歩合を引き上げたのですが、同時にマルクが上昇していたにもかかわらずドイツも公定歩合を引き上げため、米国ではさらに利上げをする必要があると懸念され、株価の大暴落(ブラックマンデー)を引き起こしてしまうのでした。

 ここからは、プラザ合意を起点とする、日本の金融政策の迷走ぶりを書いてみます。私は、現在にまで続く日本の金融政策(だけではありませんが)の迷走は、ここから始まったと思っています。

 まず、プラザ合意を受けて協調介入が始まった直後の1985年10月25日に、日銀が突然「短期金利の高め誘導」を行いました。確かに円高への支援材料とはなるのですが、そうでなくても円高の悪影響を受けるはずの日本経済に対し、さらに高金利の追い打ちをかけたのです。そこまでして円高にする必要があったのでしょうか?
 ちょうど、直前の10月19日に始まった債券先物取引も、102円くらいから、あっという間に90円割れの大暴落になり、国内投資家に膨大な損失を与えてしまいました。今までは債券をヘッジするにも方法がなかったところに、おあつらえ向きのヘッジ手段ができたところへ、誰も予想できなかった「短期金利の高め誘導」が来たので、パニックになるはずで、国内債券の損失が増幅されたのでした。まさに絶妙のタイミングでの「高め誘導」だったのです。

 その後、さすがに止まらない円高による不況を恐れて、日銀は1986年1月から急激な金融緩和に入り、5%だった公定歩合を1987年2月に2.5%まで下げます。国内のバブルの始まりです。
 ところが、日銀が最後の利下げを行った1987年の秋には米国、ドイツとも利上げに踏み切っているのです。しかし日銀はモタモタしているうちにブラックマンデーがあって利上げできず、さらにバブルを加速してしまいます。日経平均は1989年末に4万円直前の史上最高値をつけました。ブラックマンデーの影響が一番少なかった日本が、一番引締めが遅れたのです。

 迷走は、さらに続きます。日銀が引き締めに転じたのは、1989年5月のことです。ところが株式も不動産も、明らかに変調をきたし始めていた1990年3月に、今度は不動産融資に対する総量規制を掛けたのです。完全なバブルつぶしを、バブルがはじけてから行ったのです。現在まで続く、日本の銀行の不良債権処理と、厳しすぎる与信管理、貸し出しの回収の始まりです。

 日銀の最後の公定歩合引き上げ(6%へ)は、日経平均が高値から1万円も下げていた1990年8月末の事でした。

 こうやって書いていても、「何か意図を持って、日本経済をバブルまみれにし、さらに不況に陥れたのではないか?」と思いたくなるような迷走ぶりです。そして、それを主導したのが日銀であり、増幅したのが銀行なのです。

 このシリーズは、年内にあと一回書いて終わりにします。そこでは、米国の未曾有の金融緩和であふれるドルと、今度の世界の通貨体制について考えてみたいと思います。
 来年の為替予想もしてみたいと思います。

平成22年12月20日

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■為替・金融 | 2010.12.20
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