Archive

闇株新聞 the book


闇株新聞 the book
発売中です。
よろしくお願いします。

あらゆる失政が凝縮された日本長期信用銀行事件  その1

2011年01月12日

あらゆる失政が凝縮された日本長期信用銀行事件  その1


 本誌では、株式市場をはじめとする金融市場の問題点を探し出して皆様に考えて頂き、少しでも状況が改善されることを最大の目的としています。そういった目で見ていくと、やはり当局の対応のまずさで問題が起こり、いつの間にか責任が変な方向に転嫁されており、いまもその影響が残っているケースが非常に多くあります。

 本日の取り上げる日本長期信用銀行(現 新生銀行)事件は、発生が1998年でいささか古いのですが、当局のあらゆる失政が凝縮されいるため、取り上げることにしました。

 全く同じような事件として日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)事件もあるのですが、煩雑になるため、こちらの方は触れないようにします。

 それにしても長くなりますので2回に分けて書きます。

 日本長期信用銀行は、産業界への設備投資等の長期資金の安定供給を目的とした長期信用銀行法により1952年に設立されました。日本興業銀行(現みずほ銀行)と日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)と並び、金融債(5年の利付債と1年の割引債)の発行による資金調達が認められおり、預金を集めて短期資金を供給する都市銀行とは棲み分けが図られていました。

 ところが重厚長大産業の資金調達が間接金融から直接金融にシフトするに従って、その存在意義が揺らぎ始め、1971年から1989年まで頭取と会長を務めた杉浦敏介氏の時代に不動産、サービス業などあらゆる業種に積極的に貸し付けを拡大していきます。この時期はまさにバブルの最中であり、たちまち不良債権の山が築かれることになります。

 バブルの象徴と言われたイ・アイ・イ・インターナショナルとの取引も、1985年ころから杉浦会長主導で始められたと言われています。

 このバブルを助長し、今度は率先して潰した金融行政の失敗については、昨年12月20日付け「ドル基軸通貨体制の変遷と今後 その3」の後半部分に書いてありますので、ぜひ読み返してみてください。

 1990年代に入ると、当時の頭取であった堀江鉄弥氏のもと、徹底的な不良債権隠しが行われました。1991年当時で行内では不良債権総額が2兆4000億円あったと言われていましたが、もちろん表に出ることはありませんでした。
 
 1995年に頭取になった大野木克信氏は、歴代の頭取とは違い法令遵守を徹底しました。そして1997年に経営基盤安定のためスイス銀行(SBC。 現在はUBSと合併)と業務資本提携を締結しました。

 ところが遅ればせながら、1998年3月に金融危機安定化措置法案が成立し、同4月に早期是正措置の導入、同6月に金融監督庁の発足など、矢継ぎ早に金融機関に対する検査・指導が強化されるのですが、これは後から考えても全く手遅れの時機に、厳しい資産査定などを急激に盛り込んだために、かえって金融危機を招くことになってしまうのです。

 一例をあげると、従来、系列のノンバンクなどへの貸し付けは、親銀行が支援するものなので不良債権と認識する必要がないとされていたのですが、これが1998年3月期から突然、他の債権と同様に査定することになったのです。当然大幅な不良債権の増加となりました。

 これで困った大野木氏は、やむを得ず2000億円の増資引き受けの話が進んでいたスイス銀行(SBC)にこの点を説明します。そうするスイス銀行は突然に業務資本提携を反故にし、あろうことが市場で長銀株を大量に空売りしたのです。これをきっかけに200円前後だった長銀株はあっという間に50円割れになり、経営危機が表面化したのです。当時、何故かSBCを非難する声は全くなく、全て不良債権隠しをしていた長銀が悪いという声ばかりでした。

 その後、政府主導で住友信託銀行の救済合併が一度は合意したのですが、結局破談になり、いよいよ行き詰まってしまいました。

 その当時から長銀救済のための法案づくりが行われました。当時の小渕内閣は、今の民主党内閣と違い、それなりに危機対応ができており、1998年10月12日に金融再生法案、同16日に早期健全化法案が成立し、同23日に日本長期信用銀行は破綻申請を行い、同日に特別公的管理銀行として一時国有化されました。

 直前の金融庁監督庁の検査では債務超過額が4000億円と説明されていましたが、最終的に投入された公的資金は7兆9000億円にも上り、そのうち債務超過額である3兆6000億円の損失が確定しました。さらに、その後の瑕疵担保条項の行使(後述)等を含めた最終的な国民負担は5兆円近くになりました。

 もちろんその責任は歴代の経営陣にあるのですが、前述の当局の失政によるバブルの助長と急激なバブル潰し、さらには1990年代になってからも1997年に消費税引き上げなどあらゆる国民負担の増額でせっかく上向き始めた景気を再びどん底に突き落とし、また1998年から急激に資産査定・不良資産処理を厳格にして金融危機を引き起こしてしまったなど、あらゆる行政の失敗があるのです。

 1999年6月に東京地検特捜部は、国有化された日本長期信用銀行の大野木元頭取ら3名を証券取引法違反と商法違反で逮捕しました。1998年3月期決算で、本来の不良債権処理に伴う損失を3130億円少なく計上したうえで、実際は原資がないのに70億円を不正に株主に配当したとして、有価証券虚偽記載などの罪に問われたものです。

 これは、まさに1998年3月期から突然、系列ノンバンクなどの資産査定も厳密にせよ、という「新しい基準」を守っていなかったということなのですが、実は当時、他の銀行でもこの「新しい基準」で引当をした銀行はほとんどありませんでした。しかし、やはり結果的に多額の国民負担を強いた責任をどこかに取らせて、責任と批判が金融当局に向けられるのを避けるため、というあからさまな「国策捜査」でした。また、取り調べ中に日本長期信用銀行の幹部2名が自殺をしています。それだけ特捜部の強引な捜査があったのでしょう。

 裁判は一審・二審とも執行猶予付きの有罪判決だったのですが、2008年7月に最高裁が、当時は「新しい基準」によって関連ノンバンクに対する引き当てを求めていたとは言えない、として逆転無罪を言い渡しました。特捜事件で無罪になるのは極めて珍しいのですが、当時ほとんどの銀行が「新しい基準」による引当をしていなかったのは明白な事実なので、当然の判断だと思います。しかし、その当然の判断がなかなか出ないのが特捜事件なのです。

 余談ながら、東京地検特捜部でこの事件の主任検事だったのが前特捜部長の佐久間達哉氏です。同氏は特捜部副部長のときに指揮を執った佐藤栄佐久・元福島県知事の収賄事件でも東京高裁が収賄部分については実質無罪に判決を言い渡しており、さらに特捜部長で陣頭指揮した陸山会の政治資金事件でも小澤一郎を起訴できず、黒星が続いており検察OBからも批判があるのですが、そこは「赤レンガ派」のエリートなので、現在は大津地検検事正として順調に出世しています。

 また、最大の戦犯であった杉浦元頭取・会長は、ついに刑事・民亊とも責任を問われることはありませんでした。受け取った10億円近い退職金の自主返還にもなかなか応じず、最後にやっと2億円だけ返還したそうです。

 しかし、日本金融行政上最大の失政はこれから始まります。続きは明日書きます。

Ads by Google

コメントをする⇒
| Comment:0 | TrackBack:0
■闇株的見方 » 株式 | 2011.01.12
関連記事
闇株新聞プレミアム

各種メディアに掲載されている闇株新聞の裏・・・

闇株新聞プレミアム
Ads by google
Ads by Google
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク
フェイスブック
カテゴリ
カレンダー
プルダウン 降順 昇順 年別

12月 | 2011年01月 | 02月
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -


ブログ内検索
Loading
お問い合わせ

※ページが見れない・表示されないという方はお手数ですが、原因究明のためお使いのOSとブラウザを記述の上お問い合わせ頂けますようお願い致します。

名前:
メール:
件名:
本文:

闇株新聞プレミアム

各種メディアに掲載されている闇株新聞の裏・・・

闇株新聞プレミアム