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野村証券「社長」の話  その1

2011年02月03日

野村証券「社長」の話  その1

 本誌では、日本の銀行の「けしからん」話を数多く取り上げてきました。

 しかし、日本の証券会社については特に批判をしていません。しかし業界トップの野村証券については、是非書いておきたいことがあります。なぜ、あれだけの高収益会社が、今日の迷走を始めたのかを考えてみます。
一番のキーワードは「社長」なのです。「社長」を頂点とした「経営陣の力量」と言ってもよいと思います。

 上場しているのは野村ホールディングスなのですが、ここでは野村証券で統一します。

 1948年4月、当時45歳であった奥村綱雄が社長に指名されました。GHQにより常務以上の役員が全て追放されたので、たまたま平取締役の筆頭にいたのが奥村だったのです。しかし野村証券にとって、いやその後の日本証券界にとって僥倖だったのが、そのたまたま社長に指名された奥村が、戦後の野村証券だけでなく、日本証券界最大の傑物だったことです。

 もう古いことなので、個別の実績については割愛しますが、その奥村綱雄の後も、瀬川美能留、北浦喜一郎と、やはり傑物が社長の座にあり、証券界ダントツの地位を築いたのでした。(戦前は山一証券の方が圧倒的に大きかった)
 奥村、瀬川、北浦はそれぞれ10年ずつ社長を続け、その次の田淵節也は6年で会長になりましたが、ここまでは激しい競争に勝って社長の座を勝ち取ったものが長期的視野に立って経営を行っていたのでした。

 野村証券の基盤は営業であり、もちろん上場企業、大手金融機関も重要ですが、全国の個人投資家、中小企業、農協などの中小金融機関など全ての顧客を大切にし、トップの社長も自らの圧倒的な営業実績をもって営業現場を理解し、営業現場からも信頼され、結果として大変なエネルギーが生み出されていたのでした。

 1985年12月に田淵義久が社長に指名されました。前社長の田淵節也の縁戚ではありませんが、今考えるとこの指名に問題がありました。

 田淵義久も歴代の社長に負けない傑物でしたが、次長くらいの時から将来の社長だと言われていました。歴代の社長は、指名直前まで必ずライバルがいたため、その結果それぞれの社長候補に取り巻きが出来ることがなかったのですが、田淵義久の場合は、全く無競争であったため、社長就任時には数多くの取り巻きがおり、ちょうど会社が急拡大していたこともあり、野村証券の歴史で初めて現場の声(特に悪い話)が社長に直接届かないことが起こり始めたのでした。
 
 その強大な権力を持った田淵義久が、1991年に突然発覚した「損失補填問題」と、株主総会での失言(「損失補填は大蔵省の承認を得ていた」という発言。もちろん事実なのですが、大蔵省が激怒した)で辞任に追い込まれました。

 そこで、急遽社長に指名されたのが人事担当副社長だった酒巻英雄でした。酒巻も営業経験はあったのですが、歴代の社長のような伝説的な実績はなく、ここで野村証券の歴史で初めて営業現場がすべて納得しているわけではない社長が誕生したのでした。
 その結果酒巻は、一部側近のみを重用する側近政治を行い、その結果、総会屋への利益供与事件で自滅してしまうのでした。(1997年。酒巻を含む3役員が逮捕されました)

 悲劇は続きます。
 ここで、悲劇と言うのは、野村証券のエネルギーの源である営業現場にとって、という意味です。

 酒巻の後任社長に指名されたのが、シカゴ大学博士課程を卒業後入社して、当時、米国野村の社長をしていた氏家純一でした。それまで「損失補填」にも「総会屋」にも全く関係ないところに居た、と言うのが唯一の理由だったようですが、社内的には、「え、誰?」と言ったところだったのでしょう。
 また「総会屋事件」の連帯責任で、当時の専務以上の代表役員が全て辞任させられたため、たまたま常務だった氏家が指名されたということもあります。戦後のGHQによる常務以上の追放と同じような状態になったのですが、今度は、たまたま指名された氏家が野村証券の「僥倖」にはならず、その後続く「迷走」の発端になるのでした。

 ここで、野村証券の歴史で初めて「営業現場」を全く知らない社長が誕生したのでした。

それでは氏家の「海外業務」での実績はどうだったかと言いますと、その直後に、自分が社長をしていた米国野村が外人部隊に任せていた不動産担保証券で数千億円の巨額損失をだし、本社社長になった後も、1998年ころのアジア危機、ヘッジファンド危機(LTCM事件)、ロシア危機それぞれに、これまた巨額損失を出し、「海外業務」にも決して精通していたわけではないことが露呈しました。
 
 しかし、氏家は現在も取締役会会長として、依然として勢力を保っています。

 その後も、海外関係の巨額損失だけを見ても、サブプライム損失はもちろん、マドフ事件(2008年12月に発覚した、米国証券業協会会長だったバーナード・マドフの総額6兆円ともいわれる巨額詐欺事件)にまで登場してしっかり損失を出し、世界の主要な金融事件で、全て損失を出すという「偉業」を成し遂げたのでした。

 その「偉業」のついでに、破綻したリーマンブラザースのアジア部門を2008年9月に、最大8500人もの人員とともに買収しました。その意味を含む続きは、また明日書きます。

平成23年2月3日

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■企業 | 2011.02.03
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