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テンプル騎士団とフリーメーソン  その1

2011年02月28日

テンプル騎士団とフリーメーソン  その1


 別に、受けを狙ってこういう題名にした訳ではありません。

 最近の中東・北アフリカの騒乱の行方を考えるに、どうしてもユダヤ教・キリスト教・イスラム教の争いの歴史に注目せざるを得ず、それが本日の金融システムの起源にも深くかかわっているので、どうしても目が離せなくなるのです。
 直感的に、何か世界が大きく変動することになるような気がしてなりません。

 お断りしておきますが、私はユダヤやフリーメーソンの陰謀説は信じていません。ただ、今後の世界経済の展開を考えるにあたって、是非この辺の歴史を理解しておく必要があると強く感じています。書き始めると膨大な量になってしまうので、出来るだけかいつまんでポイントだけ書くようにしますが、何回かに分けて書くことになると思います。

 まず、本誌で何回も書いているのですが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同根であり、同じ一神教であり、その唯一の神(ヤハウェ)は同じなのです。(昨年12月14日付け「ユダヤ人の話」、2月14日付け「イスラム教の話」などを御参照下さい)

 従って、この3宗教とも、わずか1km四方のエルサレム旧市街のなかに聖地があります。

 紀元前11世紀にソロモン王が建設した神殿が、紀元70年にローマ帝国によって破壊され、唯一残された神殿の西壁が「嘆きの壁」としてユダヤ教の聖地となっています。

 そして638年に、出来たばかりのイスラム教徒がこの地を占領し、ソロモン神殿の跡地に作った「岩のドーム」がイスラム教のメッカ、メディナに継ぐ第三の聖地なのです。

 そこから少し離れた所にある聖墳墓教会はキリストが磔刑に処せられた場所として326年にキリスト教を公認したばかりのローマ帝国のコンスタンティノス皇帝によって建てられ、世界で唯一のキリスト教全派共通の聖地となっています。

 この地は、638年以降イスラム教の国によって占領されていたのですが、イスラム教徒はキリスト教徒を迫害せず、教会も破壊せず、キリスト教徒の聖地巡礼も認めていました。

 ところが11世紀の終わりころ、この地を治めていたトルコ系イスラム教徒のセルジューク朝の勢力拡大を恐れた隣接するビザンツ帝国(東ローマ帝国。首都はコンスタンチノープル)の皇帝が、時の教皇ウルバヌス2世に「聖地エルサレムの奪回」を働きかけ、第一回十字軍が派遣されました。

 「聖地エルサレム奪回」の名のもとにフランス、イタリア、神聖ローマ帝国の各諸侯が参加したのですが、当時のヨーロッパは封建制度がほぼ完成しており、王や諸侯が新たな土地を獲得したくても、土地が不足している状態であり、また土地に縛られていた農民の不満も増大しており、十字軍遠征はこう言った民衆のフラストレーションをまとめて異教徒の地に向かわせることになったのです。

 またローマ教皇としても、カトリックから分裂していた東方正教会をいずれ統合したいので、ここはビザンツ皇帝(東方正教会の最高権威者)に恩を売っておこうという思惑がありました。

 つまり、そもそもエルサレムではキリスト教徒は迫害されていたわけでも何でもなく、聖地訪問(巡礼)も認められていたので、ビザンツ皇帝、ローマ教皇、フランス・イタリア・神聖ローマ帝国の各王室の、それぞれの思惑が「聖地奪回」を名目にしただけだったのです。

 第一回十字軍は、一応エルサレム奪回に成功したのですが、その過程でユダヤ教徒、イスラム教徒、そしてカトリック以外のキリスト教徒までが殺戮と略奪の対象となりました。十字軍こそが侵略者だったのです。

 しかし、せっかく奪回したエルサレムは、すぐにまたイスラム教徒によって奪い返され、結果十字軍は計8回も派遣されるのですが、結局ベネティアやジェノアなどの都市国家の商人達を富ませただけとなるのですが、この辺は割愛します。

 さて、第一回十字軍派遣で、曲がりなりにもキリスト教の聖地が奪回されたので、ヨーロッパ各地から巡礼が激増します。そこでそれら巡礼者の世話や護衛をする役目を担ったのがテンプル騎士団なのです。

 テンプル騎士団は正式名称を「キリスト及びソロモン神殿の貧しき戦友たち」といい、ローマ教皇から認められた騎士修道会であり、ローマ教皇としても「聖地を守り、キリスト教徒を保護する」という大義名分のために、国境通過の自由、課税の禁止、教皇以外の領主や司教への服従の免除などの特権を与えました。

 また、ヨーロッパ各諸侯も多額の寄付などを行いました。こうしてだんだん財務基盤を拡大していったテンプル騎士団は、そのうちに王族や貴族の財産を預かるという、今日の金融システムに似たものを拡大していったのです。

 最初は、聖地巡礼に大量の資金を持って行けないので、まずテンプル騎士団が預かり、巡礼者は旅の途中でテンプル騎士団の発行した「預かり証」のようなもので換金していました。これはエルサレムがイスラム教徒に奪回されて本来の機能が不必要になった後も発展し、貸付を含む現在の銀行業務に近いものになっていったのだと思われます。

 つまり、ローマ教皇から各種特権を認められ、本来の軍事力に加えて、圧倒的な財務基盤を有する組織が独占的に銀行業務を行っていたのです。その結果、だんだん王族や民衆の反感を買うようになっていきました。

 そして、そのテンプル騎士団の財力に目を付けたのが、王権を拡大し始めていたフランスのカペー王朝のフィリップ4世でした。

 続きます。

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■歴史から学ぶ | 2011.02.28
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