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2011年07月26日
ユーロの行方やヨーロッパの政治・経済を考えるにあたり、ヨーロッパの歴史、とくに民族や宗教などからユーロ構成国の関係を考えてみようとするシリーズの最終回です
前回までに出てこなかった国のうち、ポルトガルとスペインについて書いてみます。
両国が大航海時代の先駆者となり広大な海外領地を獲得して巨額の富を収奪するのですが、結局その冨が両国に残らず、結果的にフランス、イギリス、そして遅れて独立するオランダなどに移転し、産業革命を通じてヨーロッパの覇権の原資となっていくのです。
イベリア半島はもともとローマ帝国の属州だったのですが、ゲルマン人の移動によって西ゴート人が入り込みますが、711年に北アフリカから侵攻したイスラム教徒のウマイヤ朝に征服されます。
しかし15世紀ころからイベリア半島北部のポルトガル、カスティリア、アラゴンの3王国が勢力を増し、だんだんイスラム教徒を南に追い詰めていきます。
その中で最も早くイスラム教徒を追放し国家の体制を整えるのがポルトガル王国で、15世紀にはエンリケ航海王子のもとで積極的に海外に進出し、大航海時代が始まります。
ポルトガル人はイタリア商人に制海権を独占されていた地中海を避け、まずアフリカ大陸西岸を攻めながら南下して喜望峰を回り、1488年にバスコ・ダ・ガマがインドへ到達します。その後は当時の高級品の香辛料を求めてマレー半島のマラッカ、モルッカ諸島(いまのインドネシア)などへ行き、1543年に日本の種子島、1557年にマカオに到達します。
ただ、その後の世界経済に大きく影響を与えるのは、1500年にたまたまインドを目指していて到達したブラジルです。ポルトガルはそこで原住民を使ってサトウキビの大規模栽培を行い、また金山の発見などもありブラジルの植民地経営で巨額の富を得て、その後のヨーロッパ諸国の植民地経営の先駆けとなります。
一方、スペインは1479年にカスティリアのイザベル女王とアラゴンのフェルナンド国王が結婚して両国がスペイン王国となり、1492年に最後のイスラム教徒の拠点グラナダを攻め滅ぼしてイベリア半島を完全に取り返します。
その少し前から、スペインも海外進出をするのですが、ドル箱のアフリカ回りのインド航路はポルトガルが独占していました。そこでジェノバ出身のコロンブスが大西洋を西進してインドへ向かい、結果的にアメリカ大陸を発見します(もっともコロンブスは最後まで、そこがインドだと思っていたようです)。
それ以後、スペインが中南米への進出を本格化させ、1521年にエルナン・コステスがアステカ王国(今のメキシコ)を、1533年にフランシスコ・ピサロが南米のインカ帝国を征服し、広大な植民地を得ます。
スペインも原住民を使って大農場や鉱山(1545年に発見されたボリビアのポトシ銀山はなど)で強制的に働かせ、巨額の富を収奪します。
スペインでは1516年にハプスブルグ家のカルロス1世が即位し(イザベル女王の娘と結婚した)、その息子のフェルナンド2世(在位1556年~1598年)の時代には、南北アメリカ、ネーデルランド(今のオランダ)を領有し、1580年にはポルトガル国王も兼ね、「日の沈まぬ帝国」と言われる最盛期となりました。
しかし、スペインは植民地からの巨額の富を国内産業の育成などには使わず、ヨーロッパ諸国との領土争いや宮廷の浪費で使ってしまい、1588年に無敵艦隊がイギリス海軍に敗れて大西洋の制海権を失い、あっという間に衰えてしまいます。
つまり、スペインとポルトガルが広大な植民地から収奪した巨額の富は、結局両国に残らず結果的にフランス、イギリス、その後1648年にスペインから独立するオランダなどが手にし、また同じようにアフリカを含む世界に植民地を経営して世界の覇権獲得のための原資を稼ぎだしていくのです。
もう1つこの過程で見逃せないのが奴隷貿易です。ポルトガルのブラジルに始まった南北アメリカの植民地経営で、不足する労働者を補うためアフリカから総計で1000万人もの奴隷を連れてきたと言われます。
奴隷と言うのはヨーロッパ人がアフリカへ行って奴隷狩りをしたと思いがちなのですが、実際の奴隷狩りをしたのはアフリカのベニン(いまのベナン共和国)、ガーナ、ソンガイなどの黒人王国です。
フランス、イギリスなどはアメリカ大陸から農作物、金銀等を輸入し、代わりに黒人王国が集めた奴隷をアフリカからアメリカ大陸に輸出する三角貿易で巨額の富を得ていたのです。
つまり、大航海時代を切り開いたポルトガルとスペインは植民地経営で巨額の富を得たものの、国内に留めることが出来ず浪費してしまい、その恩恵を十分に引き継いだイギリス、フランス、オランダなどが資本の充実をすすめ、その後産業革命で更なる発展を遂げ、世界の覇権を握るのです。
一方、当時神聖ローマ帝国だったドイツは、こういった流れに完全に遅れてしまい、その後の無理な世界大戦の遠因となっていくのです。
ここまでで、主なユーロ構成国の歴史的な流れを見てきました。
現在のユーロを支えるのはドイツ、フランス、オランダなどで、問題国がギリシャ、アイルランド(昨年11月26日付け「アイルランドとアイスランド その2」に書いてあるので省略しました)、ポルトガル、そしてスペイン、イタリアです。
そしてノルェー、スェーデン、デンマーク、イギリス(やや語弊があるのですが)といったノルマン人(バイキング)の国はユーロと距離を置いています。
ユーロの行方を考えるときに何かの参考になればと思います。このシリーズは終わりますが、今後もユーロの問題を考える時に引用していきたいと思います。
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