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ちょっと気になる銀行の話

2011年08月31日

ちょっと気になる銀行の話

 野田総理大臣が誕生しましたが、その経済政策を含む日本の政治については、別の機会に書こうと思います。

 さて本日は、2~3日前の日経新聞に出ていた「ちょっと気になる」記事についてです。

 2006年ころに、銀行が取引先に大量に販売した為替デリバティブが巨額の損失を生んでいるのですが、それに対し全国銀行協会が運営する紛争解決機関へ、あっせんを求める企業が増えており、銀行が解約清算金や損失の一部を負担する和解が増えている、という記事でした。

 1月27日付け「ここにもあった銀行のあこぎな話」に詳しく書いてあるのですが、まず、この為替デリバティブとは、たとえば為替水準が120円程度のとき、向こう10年間にわたって毎年ドルを1ドル=100円で1000万ドル買う権利を買うのですが、同時に毎年ドルを1ドル=100円で3000万ドル買う権利を売って、契約全体のコストをゼロとしたものです。

 つまり、ドルが120円である限り、毎年差額の20円(1000万ドルで2億円)を受け取れるのですが、現在のように76円になりますと、毎年差額の24円(3000万ドルで7億2000万円!)を支払わなければならないという恐ろしいもので、まさにその恐ろしいことになっているのです。

 まあ、これは為替デリバティブなどという専門的なものではなく、単に1ドル=100円・期間10年のドルコールを買い、同時に1ドル=100円・期間10年のドルプットを売って、そのプレミアムの差額を銀行が儲けているだけの単純なスキームです。

 まあ、リスク・リターンの関係からプロは絶対手を出さない取引です。銀行もいくら儲けるためとはいえ、為替のプロではない顧客に絶対に進めてはならない取引です。
 
 ここで、何が表題の「ちょっと気になる銀行の話」なのかといいますと、銀行は今まで、どんな理不尽な取引で取引先に損失が出ても、一切責任を取らず自分の保全を最優先に考えるところで、監督官庁の金融庁(旧大蔵省)が問題にすることも殆どありませんでした。

 歴史的に見ても、バブルの最中に土地だけ保有しているお年寄りに、相続税対策と称して巨額の貸し付けをして立派なビルを建てさせ、バブルが弾けるとさっさと回収して土地もビルも取り上げてしまうなど、いくつも事例があります。

 その銀行が、たとえ一部といえども損失の負担を始めているらしいのです。

 これは、金融庁主導で昨年10月からスタートした金融部門における裁判外紛争解決制度(金融ADR・Alternative Dispute Resolution)によるもので、金融機関は指定紛争解決機関(銀行の場合は、社団法人全国銀行協会)との間で、紛争解決手続きの応諾・資料提出・解決案の尊重などを行わなければならないものとされています。

 銀行の取引先としては、契約時の説明が不十分であったとか、銀行としての立場を利用して強引に勧誘された、などの不満があれば裁判を起こさなくても解決案をあっせんしてくれるという制度です。

 一見ありがたい制度なのですが、銀行の監督機関である金融庁が主導し、指定されている紛争解決機関が全国銀行協会と、すべて銀行の「身内」であるため、面倒な顧客との交渉をすべて銀行から切り離して、単なる「ガス抜き」だけで結局は「うやむや」にしてしまうものだと思っていました。

 それが、どういう風の吹き回しか、顧客寄りの解決案が提示されているケースが出てきているのです。これは、銀行や銀行行政の長い歴史から考えて、驚くべきことなのです。

 本誌で何回も書いてきましたが、歴史的にみて、同じ金融庁(旧大蔵省)の監督下にあっても、つねに銀行のやることは「正しく」、常に証券会社や証券市場は「怪しくて、常に摘発していなければならないもの」とされているのです。

 しかし、解決案を見ても別に銀行に法的な責任が認められたわけではなく、単に損金の一部を負担させるだけなのですが、それでも歴史的に見ても大きな変化です。

 まあ、これは相手が証券界であったら、有無を言わさず摘発して法的責任を追及するはずなのです。
 1990年代の「損失補填」は、証券界は「身銭」を切って補填して摘発され、銀行(おもに信託銀行のファンドトラスト)は勝手に別の顧客の利益を使って「補填」して全く「おとがめ」がなかったのです。

 まあ、いずれにしてもこの為替デリバティブなる契約は1万9000社に対して4万件あり、全体の含み損も計算できないくらい巨額のはずでが、銀行が法的責任を追及されることは絶対なさそうです。

 せめて、金融ADR制度を積極的に利用しましょう。

平成23年8月31日

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■闇株的見方 » 経済 | 2011.08.31
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中国四大美女

2011年08月30日

中国四大美女

 民主党新代表が野田財務大臣に決定したのですが、今日は別の話題にします。

ここのところ中国問題について書くことが多かったのですが、最後は番外編・「中国四大美女」にします。別に深い意味はないのですが、最近は硬い内容ばかりだったので、たまには柔らかい話題にしようと思っただけです。

 なぜ三大でなくて四大なのかは、よくわかりません。またその四人も、説によっては組み合わせが違っているのですが、実在の可能性の高い四人を選んでみました。

 西施(せいし)
 春秋戦国時代(紀元前770年に周が一時的に滅びて、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代)の紀元前5世紀に、越王勾践(こうせん)が呉王夫差(ふさ)に、策謀のために献上した美女です。なぜか大根足だったと言われています。
 呉と越は、「呉越同舟」とか「臥薪嘗胆」などのことわざに残る春秋時代末期のライバル国です。西施は、今でいうハニートラップの第1号だったのでしょう。

 結果は、呉の夫差が見事に策謀にかかり、越に滅ぼされてしまいます。
 役目を終えた西施は、勾践夫人に、夫も同じ目に合わないように殺されたという説もありますが、本来の恋人であった勾践の参謀・范蠡(はんれい)と国外で幸せに暮らしたそうです。
范蠡は、このハニートラップの考案者であり、かつ西施を工作員として教育した張本人だったのです。日本がまだ縄文時代で、土器を作っていたころです。

 虞美人(ぐびじん)
 項羽と劉邦のエピソードはあまりにも有名ですが、項羽にずっと付き添っていた美女で、非常に控えめな女性だったようです。
項羽が劉邦の策略で追い詰められて「四面楚歌」の状態になった時、項羽の足手まといにならないようにと自害したといわれています。(ただしこれは小説の話で、歴史書である「史記」や「漢書」には記述がありません。)

個々の実力では項羽の方が圧倒的に強かったのですが、最後に勝って漢(前漢)を建国したのが劉邦です。紀元前202年のことで、日本はようやく弥生時代に入ったころです。

 王昭君(おうしょうくん)
 紀元前33年に前漢の元帝が、匈奴の一派の君主・呼韓邪単于(こかんやぜんう)に妻として与えた美女です。
 前漢に限らず、それまでの王朝はすべて匈奴の侵略に悩まされていたのですが、ここで前漢が初めて匈奴の一派の呼韓邪単于と手を結び、他の匈奴を滅ぼして、ようやく政治的安定を得ます。
 さらに、滅ぼされた方の匈奴はフン族として西進し、ゲルマン民族の大移動を引きおこしてローマ帝国滅亡の原因となります。
 結果論ですが、王昭君は歴史上で非常に重要な役目を果たした女性なのです。

 ついでに言いますと、前漢の元帝は、呼韓邪単于に美人を与えるつもりはなく、似顔絵から比較的醜い女性を選んだつもりだったのです。ところが王昭君は似顔絵師に賄賂を払えず醜く書かれていたようで、元帝は実物の王昭君を見てびっくり仰天したのですが、匈奴との融和が重要なため、しぶしぶ送り出したそうです。

 楊貴妃(ようきひ)
 唐の玄宗皇帝は名君だったのですが、晩年、後宮に迎えた楊貴妃を寵愛しすぎて政治をおろそかにします。楊貴妃の縁戚の楊国忠を重用し、これを不満に思った安禄山が反乱を起こし(安史の乱・755年)、唐の国力を著しく弱めてしまいます。
 楊貴妃もそこで反乱軍に殺されてしまいます。

 楊貴妃は、当時の中国では珍しい豊満な女性だったようです。また政治的野心もかなりあったようです。日本は奈良時代のころです。

 以上が、四大美人です。
 別の組み合わせもあるのですが、最初の西施(せいし)と最後の楊貴妃は、必ず入っています。それぞれネットには肖像画らしきものが出ていますので、興味のある方は見てください。

 ついでに中国三大悪女(こちらは、どういうわけか三人です)というのもあります。

 呂后(前漢の劉邦の皇后)、則天武后(唐の高宗の皇后。690年に国号を「周」と改め、中国史上唯一の女帝となる)、西太后(1900年ころの清朝末期の実力者)の三人です。

 詳しくは書きませんが、かなり残酷な行動が多かったようです。

 それから紀元前16世紀頃の夏(か)の傑王(けつおう)に寵愛された末喜(ばっき)、紀元前11世紀頃の殷の紂王(ちゅうおう)に寵愛された妲己(だっき)、紀元前8世紀に周の幽王に寵愛された褒姒(ほうじ・幽王が笑わない褒姒を笑わせようと、兵を出動させるための狼煙を何度もあげたため、肝心の時に誰も来なかった)なども悪女なのですが、これは夏の傑王・殷の紂王・周の幽王が、それぞれ一人の女におぼれて国を滅ぼした中国三大愚帝なのです(三人とも、それぞれの国の最後の王です)。

 不思議なことに、中国以外にはこういうランキングがありません。
単独の美女ではクレオパトラがいるのですが、それでは最後に、クレオパトラは何人だったのでしょうか?

 エジプトの女王だったのだからエジプト人と思われるのですが、正解はギリシャ人です。
紀元前30世紀から続いたエジプト王朝は、紀元前671年にアッシリアに一旦滅ぼされ、その後、紀元前333年にアレキサンドロス大王に完全に滅ぼされます。
大王の死後は、大王に派遣されていたギリシャ人によるプトレマイオス朝が始まり、クレオパトラはその最後の王なのです。
 クレオパトラの死後、紀元前30年にエジプトはローマ帝国の属州に組み込まれます。

 きりがないので、終わります。

平成23年8月30日

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