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2011年11月07日
11月1日に野村ホールディングスの2011年4~9月期・連結決算が発表され、最終損益が283億円の赤字(前年同期は33億円の黒字)なのですが、特に7~9月期の最終損益が460億円もの大赤字となっていました。
特に法人取引や海外を含む投資銀行業務を行う「ホールセール部門」が、4~9月期に879億円もの大赤字を出したのが足を引っ張りました(同部門は前年同期も334億円の赤字でした)。
まあ、同じ頃に発表された同期間の決算では、大和証券グループ本社が287億円の赤字(前年同期も53億円の赤字)、みずほ証券が267億円の赤字(前年同期は63億円の黒字)と、似たような大赤字決算を出した大手証券もあります。
しかし野村ホールディングスの最大の問題は、以前から指摘されていた通りの原因による、ある意味「出るべくして出た」大赤字だということです。
しかも、グループ内の超優良資産である野村土地建物(野村不動産ホールディングスの親会社)を本年7月に完全子会社化し、その「含み」を取り込んだ結果がこれなのです。
その以前から指摘されていた理由とは、言うまでもなく2008年9月に世界的投資銀行への脱皮という野心から、破綻したリーマンから欧州・中東の株式部門や投資銀行部門などの人員約8000人を(1人当たり平均年3000万円といわれる)高額の報酬を保証してまで継承したからなのですが、実際はそんな単純な構図ではありません。
根本的原因は、現在の渡部賢一・取締役・代表執行役・グループCEOと、柴田拓美・取締役・代表執行役・グループCOOのトップ二人の、驚くべき現場から遊離した側近政治によるものなのですが、そんな体制が生まれてしまった歴史的背景をぜひ書き残しておきたいのです。
以下、正式社名は「野村ホールディングス」なのですが、なじみのある「野村証券」と書きます。
1964年に大蔵省に証券局が設置され、翌年から証券業に免許制が導入されました。ここに証券会社も銀行や保険会社と同じように大蔵省の監督下に入ったのです。もっと正確に言うと大蔵省の(公式・非公式を問わず)許可なしでは何も出来ないようになったのです。
さてその中で真っ先に免許の交付を受けたのが、戦前から最大手だった山一証券でした。ちょうど経営に窮して日銀特融を同年に受けていたこともあったのですが、その後代々MOF担(大蔵省担当)が社長の地位についていたことからわかるように、大蔵省から見て一番の優等生が山一證券だったはずです。
一方、戦前は山一證券よりはるかに小さかった野村証券は戦後、圧倒的な営業力で日本証券界ダントツの地位を築きあげます。歴代の社長も圧倒的な営業実績を持つ者が激しい社内競争を経て就任し、社長を中心とした強力な営業組織が主導する会社となっていたのです。
ところが1990年代に入り、証券界に激震が走ります。その結果、大蔵省の「粛清」の対象になったのが、当時の証券界を「わがもの顔」で席巻していた野村証券、もっと正確に言うと「野村証券の営業組織」だったのです。
まず、1991年6月に突然発覚した「損失補填」で当時の田淵義久社長が辞任するのですが、最後となった株主総会で「(損失補填は)大蔵省の承認を得ていた」と本当のことを言ったため、大蔵省との関係がもっとここじれてしまいました。
さらに、急遽後任社長に指名された酒巻英雄も1997年3月の「総会屋・小池隆一への利益供与事件」で辞任し、その後逮捕されます。
ここで、酒巻の後任社長に指名されたのが、シカゴ大学博士課程卒業で当時米国野村社長の氏家純一でした。
この時、専務以上の代表役員が全て辞任し、「損失補填」にも「総会屋への利益供与」にも関わるポストに居なかった氏家が指名されたのですが、これらの決定に大蔵省の「強い指導」があったことは間違いなく、ここで初めて野村証券の歴史の中で「営業現場」を知らない社長が誕生したのです。正確には「誕生させられた」のです。
営業中心に突っ走るからこういう問題が出るからだとされたのでしょう。そしてその後、現在に至るまでずっと「営業現場」を知らない社長が続き、野村証券の「迷走」が始まるのです。
大蔵省から見て最優等生だった山一証券は、同じく1997年に「総会屋への利益供与」で当時の三木淳夫社長が逮捕されたのですが、そのころには2000億円とも3000億円とも言われる簿外損失を「飛ばし」ており、あえなく同年11月に破綻します。
しかし山一證券は、これも大蔵省の強い指導で「自主廃業」したので、公式には「破綻」したのではありません。つまり「飛ばし」も含めて何から何まで大蔵省に「報告」していたので、大蔵省としては責任問題にならないように山一證券を「瞬間消滅」させたのです。
野村証券の歴代社長については、2月3日付け「野村証券「社長」の話 その1」、2月4日付け「野村証券「社長」の話 その2」に詳しく書いてあります。
我ながら良く書けている原稿だと思いますので、ぜひ読んでみてください。
そして、次回はもっと掘り下げて考えます。
平成23年11月7日
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