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オリンパス事件の光と影 その4

2014年03月07日

オリンパス事件の光と影 その4


 昨日の続きです。オリンパスの表に出ていない損失額は1992年3月末に約500億円、1996年3月末に約900億円まで膨らみ、それぞれその半分くらいが実現損となっていたはずです。実現してしまった損失は毎年3月の決算期末に(たぶん毎年9月の中間期末にも)、同じ金額を実現益として計上しなければ辻褄が合いません。

 この時期のオリンパスはもっぱら「発行後すぐに高額配当を支払う私募債あるいは私募投資信託」を購入していたようです。例えば100億の私募債を購入してすぐに20億円の配当を受け取ると、利息分を別にすると20億円の含み損を抱えることになります。もちろん評価損は計上しませんが新たに資金負担が発生し、また期末毎に「飛ばす」必要がでてきます。これを延々と続けていました。

 オリンパスにこのような私募債や私募投資信託を販売していたのは、UBS、SBC(現在はUBSと統合)、シュローダー証券、インターアリアンス銀行(スイス)、パリバ証券など、欧州の金融機関でした。

 単に期末に利益を計上するだけなら、流動性がなく長期間資金を固定しなければならない(飛ばさなければならない)私募債や私募投資信託を購入する必要はありませんが、切羽詰まるオリンパスの事情につけ込んだ欧州の金融機関が、手数料を「たっぷり」取れる私募債や私募投資信託にして押し込んでいたのです。

 ただこの時期はオリンパスに限らず、このような「決算対策ビジネス」は欧州の金融機関の収益源でした。またこれらの金融機関は「オリンパスが表に出せない損失を抱えて期末に実現益を計上しなければならない事情」を100%理解していました。理解しているからこそ「共謀して」荒稼ぎしていたのです。

 実はその中で最も「とんでもない」ものをオリンパスに押し込んだのがパリバ証券です。この時期に合計400億円の私募債を販売して80億円の利払いを行ったのですが、そうすると私募債の価値は320億円まで減少するので「うまくいけば400億円まで価値が回復するデリバティブ」を組み込み、もちろんうまくいくはずがなく1997年6月に300億円近い損失が出てしまいました。

 これは「価値がわかりにくい」デリバティブを組み込むと、パリバ証券の収益が格段に大きくなるからですが、その結果元本の大半が吹き飛んでオリンパスの損失が300億円も一気に増えてしまいました。これも表に出せないのでその分の現金を追加投入して「新たに飛ばす」ことになってしまったのです。

 この取引で多額のボーナスを得たパリバ証券の林純一氏は、何と2008年6月から2011年11月の事件発覚時までオリンパスの社外取締役を務めています。まさに事件となった期間の(身に覚えがあるはずの巨額損失が全く表に出ていない)粉飾決算のほとんどを、今度は取締役として承認したわけです。大変に不思議なことですが、全く御咎め(おとがめ)を受けていません。

 横道にそれますが、たまたまオリンパスとは取引がなかったようですが、このような「決算対策ビジネス」の最大手として荒稼ぎしていたのがクレディ・スイス・グループです。クレディ・スイスに対しては、さすがに1999年に金融庁(当時は金融監督庁)が傘下のクレディ・スイス・ファイナンシャル・プロダクツの銀行免許を取り消し、支店長を検査忌避で逮捕しており、また2008年には東京国税局が同社社員・元社員約300人のストック・オプション所得を一斉に調査するなど、それなりに報復を行っています。

 話しを戻しますが、このように主に欧州の金融機関の「カモ」になり、それに無理な「飛ばし」でさらにコストがかかり、オリンパスの損失はますます拡大していきます。2000年3月期の決算で、隠していた特金がたまたま朝日監査法人(当時)に見つかり168億円の実現損計上を余儀なくされたのですが、表に出ていない損失額は2003年9月時点で約1200億円となっていたはずです。

 つまり事件となったオリンパスの損失のほとんどが2000年代の初めまでにできあがっていたことになります。それでは「損失額の報告を定期的に受けて損失隠しの継続を指示し、結果的にますます損失を巨大化させてしまった」最高責任者は誰だったのでしょう?

 そもそも1984年に最初に社長として資金運用を指示した下山敏郎氏は、1993年6月に代表取締役会長、2001年6月に取締役最高顧問となり、2004年に退任しています。つまりオリンパスの損失が拡大していた2000年代の初めまでは、常に経営全般に目を光らせていたことになります。

 事件発覚直後の2011年11月にマスコミのインタビューで「全く知らなかった。社員がかわいそうだ」などと答えています。陸軍士官学校卒業の下山氏が「ぼけていた」とは考えにくいのですが、菊川氏らの有罪判決が出る直前の2013年6月に亡くなりました。

 オリンパスの代表取締役社長は1993年6月に岸本正寿氏、2001年6月に菊川剛氏へと引き継がれますが、両名ともその直前のポストが経理・財務担当役員だったことも、社長指名の有力な理由だったのでしょう。

 ところが1998年頃から、オリンパスにとって「それどころではない状況」が持ち上がり始めます。

 少し間をあけますが、まだまだ続きます。


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コメント
クレディスイスの集団申告漏れについて、先日八田隆氏が無罪判決を勝ち取ったことで、一部では検察と戦う正義のヒーローのように取り上げられており釈然としません。氏の携わってきた胡散臭い「ビジネス」を考えると、因果応報ではないかとも思うのですが。
カモの日本
山一証券がとばしを西村証券局長かそれ以前からアドバイスとまで言わないまでも了解をとっていたという記憶がありますが、こういうことは本音では当り前かもしれませんが相当経済界全体により悪い風潮を促進させるものだったのでしょうか。損失隠しの戦後の歴史を外資参入前後、大蔵省解体前後、持株会社解禁前後で整理して頂ければありがたいです。カシオもオリンパスも氷山の一角ですね。
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