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「中国人の尊大さはどこから来たのか? その中国人とどう対決していくべきか? を歴史から考える」シリーズのお知らせ

2015年10月06日

「中国人の尊大さはどこから来たのか? その中国人とどう対決していくべきか? を歴史から考える」シリーズのお知らせ


 表題は、2014年7月~11月の有料メルマガ「闇株新聞 プレミアム」に15回にわたって連載したシリーズの名前です。

 当時は中国経済がこのように急にボロボロになるとは誰もほとんど考えていなかった時期ですが、そこで中国および中国人との対決方法を模索するために書き始めました。

 さらに中国人によると日本人は歴史を知らないそうなので、中国人にとって都合の悪い歴史も含めて明らかにしようとも考えていました。

 中国および中国経済を取り巻く環境は激変していますが、改めて読み返す意味もあると思っています。また、歴史は経済の状況を考える際にも参考になります。

 そこで秋の読書週間に先駆け、本シリーズ全文を10月12日、10月19日、10月26日、11月2日、11月9日の5回に分けて、有料メルマガ「闇株新聞 プレミアム」の付録として掲載します。もちろん通常のボリュームは減らさず、あくまでもプラスアルファとしてお届けします。

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「倭=古代日本に非ず」
古武術の「剣」の教えに、「放心」と言うものあり。また「無念無想」とも言う。我構うる故に、彼対するなり。故に、人我の得失を氷消し去れば、あらゆる構えは無用のこととなる。と言う言葉があるが、これは、「剣」に限らず何の道にても言い得る「達人」の境地であり、「凡人」の能くなし得ぬことである。我々凡人は、何事によらず、既に「構え=壁」を造ってしまっている。
今、ここで言う「バカの壁」とは、集約された「閥」或いは団体的・組織的な存在に内在するものを言う。この典型的なものが「学閥」であり「門閥」である。
特に我が国の「文献史学」学界と称される集団にあっては、「バカの壁」的存在は幾層にもなって重ねられ、姑息なくらいに外側に対しては頑として開こうとしない。かつて、ヨーロッパ中世時代1050年~1222年頃、大学は皇帝権力や教皇権力と同じように超国家的存在でなければならぬとされ、しばしば「権力からの権威の分離」が論じられてきた。この権力と権威の分離闘争の過程に於いて、教師と学生はそれぞれに「ウニヴェルシタス」(UNIVERSITAS ユニヴァーシティの原語・同業組合)を形成し、やがて、彼らは国家・市などから独立を勝ち取ることができた。その先鞭をつけたのが「ボローニヤ大学」であり「パリ大学」であった。しかし、このような権力と権威の分離現象は、我が国の大学には余り見られぬことであり、大学そのものが「権威と権力を合体させた殿堂」として形成されてきた。明治以降、大学のこの姿勢は一貫して温存され、一方では、国家権力が常に権威をも兼ね合わせて存在していた。つまり、そういう意味で権威と権力によって二重にコウティングされている極めて分厚い「壁」が構築され続けてきた訳である。また、大学と名のつく側も、当然の成り行きとして、何等かの権力者と結びついてゆくことにより、とりもなおさず自らを権威者に仕立て上げることが可能であるという体質的嗅覚が働いていた。ところが、この様な型で出来上がった旧・帝大系列の学者達は、子弟との間に、ヨーロッツパに見られる様なウニヴェルシタス的な関係を培うことができず、むしろ「ギルド的・監獄部屋的」要素の強い雰囲気を造りあげた。しかも、国家的には偏狭なナショナリズムを後ろ盾とし、自らを「アカデミスト」と位置づけることに成功した。ギルド的、或いは監獄部屋的ムードと言えば、それは師に対しての絶対服従である。師の教えの理非曲直に拘わらず、師の教えをそのまま受け継がざるを得ず、反論や批判は許されなかった。もしも異を唱えた場合は、即座に異端者とされ、野に下らざるを得なかった。即ち、「壁」の外側への放逐である。これが具体的な「バカの壁」の成り立ちであった。今日現在、あらゆる分野の学問は、進化が極めて目まぐるしいのに反し、こと「文献史学」界に関しては、気が遠くなる様な千年一日が如きであり、特筆し得る進歩は何一つ全く認めがたいと断言できる。 文献史学界は、依然として古い体質の「壁」の内側の人々によって構築された史説・史観を引きずり、それが歴史解釈上の常識であり定見であると定説化され、学者もマニアも雁首そろえ、その「バカの壁」の中においてのみ考察するしか能がないのが現状である。仮に、一つの史実上のハテナ?クエスチョン・マークについて問題を提起してみても、その問題を精査検証しようと切磋琢磨するなどということは夢のまた夢で、むしろ跳ね返ってくる反応は、異常なほどの「拒否・拒絶反応」があるのみで、それも直ぐに沙汰止みということになる。文献史学界は、この繰り返しに終始しているに過ぎない。しかも、彼らアカデミストやその影響を受けたマニアの人達は、自分達が学び身に着けたことが、今日でも絶対的な存在であり、又、価値に充ちているものと自らを自ら自身でマインドコントロールしている。
今、ここに古代東アジア史について言うならば、そもそもの出発点の「古代朝鮮」の所在地からして、その定説は全くの誤謬であり、価値あるどころか無価値に等しく、更には有害でもある。今日的意義に於いては、「資本論」の資本主義批判の理論よりも低く、せいぜい博物館行きの価値しかないと断言せざるを得ない。だが、井の中の蛙大海を知らず、天の高さを知らず…である。姑息な偏見が充満する過去の国家体制をバックボーンとして構築された「壁」の内側に鎮座まします人々は、所詮、かつて自分達の師から学んだ定説に依拠することに捉われ戦々兢々とし、史実を俯瞰的に眺める気力などは全くない。故に、外壁を貫いて響いてくる意見をも、何か一種の雑音ぐらいにしか受けとめていない。即ち、真実を知ろうとする能力が、既に去勢されているのであろう。
「壁」云々を引用したことで少しく逸れたが、今日まで、語り継がれている古代東アジア史のあるページ、即ち「バカの壁」の内側の人々によって構築された史説・定説は、そのほとんどが虚構だらけ、間違いだらけのボロクソ史観でしかない。これらは、古い体質がコネクリ出した一元的史観に他ならないと言えよう。
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