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ここまできた国際機関の迷走

2015年10月28日

ここまできた国際機関の迷走


 IMF(国際通貨基金)は国際通貨の要件ともなる特別引出権(SDR)の構成通貨として、現在のドル、ユーロ、円、ポンドに、人民元を加えることを決定したようです。

 そうすると国際市場における人民元の存在感が一段と向上することになりますが、当の人民元はその価値も交換性も中国政府(中国共産党のことです)に一方的に管理されたローカル通貨であり、とても国際通貨の要件を満たしているようには見えません。

 それではなんで公正な立場であるはずのIMFが、こんな拙速に人民元をSDR構成通貨に大出世させてしまったのでしょう?

 それはIMFに限らず、最近の国際機関すべてが同じように迷走しているため、こういうことがこれからも頻繁に起こってしまうことになります。

 もともとIMFは世界銀行と同時に設立されていますが、米国とはとっくに疎遠になっており、EUにすり寄っていましたがESM(欧州金融安定基金)が機能したため必要なくなり、先日のギリシャ危機ではESM設立前に融資した資金を強引に返済させたためEUともギクシャクしてしまいました。もう二度とお呼びがかからないと思います。

 そこで中国にすり寄っているわけで、その機能を最大限利用して中国のご機嫌を伺っていることになります。まさに公正であるべき国際機関としてあるまじき行為となります。

 もともと日本はIMFのお世話になる必要などなく、財政赤字が大きいなどと「偉そうに指摘される」必要も全くなく、米国のように今後一切の資金拠出を止めてしまうべきです。旧大蔵省はIMF副専務理事のイスがなくなると抵抗するでしょうが、まもなく中国と交代させられてしまうと思うので無駄です。

 ところが最近は、他の国際機関でも同じような状況になってしまっています。

 先日、ユネスコが南京大虐殺を記憶遺産に登録してしまったのも、中国(それに韓国)に一方的にすり寄った国際機関にあるまじき行為で、このままでは従軍慰安婦も間違いなく記憶遺産に登録されてしまいます。

 だいたい当時の人口が20万くらいしかいなかった南京で30万人も虐殺できたはずがなく、仮に多少の犠牲者がいたとしても大半が中国国民軍と共産軍の内ゲバによるものだったはずです。

 こういうFIFA(国際サッカー連盟)並みのモラルしか持ち合わせていないユネスコに、日本が最大の分担金を負担しており(米国は資金負担を停止中)、分担金の一部凍結などの生ぬるい対策ではなく「即刻脱退」してしまうべきです。何の弊害もありません。

 ところが最大の問題は国連(国際連合)です。

 もともと国連とは意識的な誤訳で、正しくは「連合国=戦勝国」です。もちろん第二次世界大戦での敵国(日、独、伊など)を監視し続けるための機関で、日本はおめでたくも「監視してもらう」ために米国に次ぐ資金を提供し続けています。国連は安全保障理事会の常任理事国全てが拒否権を持つため、常任理事国の意向に反することは何一つできず、要するに敵国とされている日本にとって何の役にも立ちません。

 常任理事国とは米、英、不思議で厚かましい国・フランス、戦勝国である中華民国になりすましている中国、似たようなロシアの5ヶ国です。

 ただ国連は「弱小国」にとっては大変に使い勝手の良い国際機関で、北朝鮮のような「ならず者国家」でも参加して勝手な主張ができてしまいます。

 その国連事務総長が韓国の潘基文です。もともと事務総長は「弱小国」から選ばれることになっており、それ程強大な権限があるわけではありませんが、それでも国連の(連合国=戦勝国です!)の顔です。

 実は潘基文は大変に無能で上昇志向だけが強く、そもそも何で国連事務総長の地位につけたのかは現在も不明ですが(韓国は第二次世界大戦中は日本領で「連合国=戦勝国」とは認められていないからです)、せっせと韓国人、韓国系米国人を国連職員に縁故採用しており国連事務局が韓国人だらけになってしまっています。

 その潘基文は先日の中国軍事パレードに堂々と出席しており、ポスト朴の韓国大統領に野心満々で、これからも国連事務総長の地位を使って反日の行動をとるはずです。

 つまり(今までもそうですが)これからの国連は、日本にとってますます不利な存在になります。こういう時期こそ日本は一致団結しなければならず、低次元な足の引っ張り合いをしている時期ではありませんが、残念ながらそうなってしまっています。

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コメント
「国連中心外交」の幻想
毎度思うのですが・・・・SWのエピソード1

遠い昔、はるか彼方の銀河系で……。
銀河共和国の政治は腐敗の道を進んでいた。・・・・貿易関税率をめぐる論争が繰り返されていた上、腐敗が進む元老院は本来の機能を失い、無為無策の極みにあった・・・・

映画のシーンは、UNの不毛の総会を思わせる雰囲気で苦笑せざるを得ないのですが、たかが映画と言うなかれ。ある種の嫌な未来図の予感をも思わせます。

はやく「覚醒」し、虚妄の「国際機関幻想」から脱却すべきですよ。
----以下ご参考までに「駄文」を

http://ueda8823khj.blogspot.jp/2015/10/blog-post_16.html


『無能はお前だ』
トップページ > 韓国・朝鮮編 >
『データで見る植民地朝鮮史』トップへ 植民地期の年表を見る
日本の朝鮮統治は赤字を貢ぎ莫大な資産を残した説

 
 赤字の分はそっくりそのまま朝鮮人民の福利厚生と蓄財に注がれた、と言いたいようです。
 検証すべきステップをいくつもワープした物言いですが、、いちおう検討してみましょう。
まとめ

① 総督府は(日本から見て)黒字で終わった。「赤字」が朝鮮人民の懐に入った形跡は無い
② 赤字が残ったとしても単に統治に失敗しただけで、自業自得
③ 総督府の借金を上回る鉄道投資が行われ利益を出していた。幹線の初期投資は元本回収済み、朝鮮は利益を貢いだ側
④ 借金残は日本が自ら引き起こしたハイパーインフレで紙くずになった。民間人もどのみち財産税で資産を失う運命だった
⑤ 植民地支配下で日本人が独占的に稼いだ利益、資産はそのまま朝鮮民族の機会損失。接収されても文句は言えない
⑥ 賠償をまけてもらった講和条約の枠組みの中で在韓資産を放棄したのだから、文句を言える筋合いにない
⑦ 戦後の韓国から見れば米国の援助が日本の遺留資産をはるかに上回っており、日本の遺産で発展したとは言えない


 朝鮮総督府が赤字経営だった時期もありますが、ムダ遣いしても、ムダな物に投資して失敗しても赤字になりますし、日本から進出した企業に貢いだのなら朝鮮人民には関係のない話ですね。
 税収増や事業収入でペイできるように開発政策と税金を設計していなかったなら、それは政策立案のチョンボです。

 そして、ムダでない資産については、植民地支配がなければ朝鮮民族自らの手で建設し自らの物にしていたでしょう。
 併合期の35年という月日は、インフラへの有効な初期投資を回収するのに充分な時間です。
 日本はその機会を奪って自分の資産として握り続けただけですから、これまた感謝しろと言える筋合いではありません。
 (このあたりの仕組みは鉄道の事例をご覧ください)

 支配者の立場を利用して得た鉱山採掘権、企業利権についても同様です。植民地支配がなければ朝鮮民族自身によって資金調達され、事業が興され営まれていたのですから、日本の儲け=朝鮮民族の機会損失という事になります。平和裡に築いた海外資産とは訳が違うのです。「日本人が額に汗して稼いだ」云々という物言いは、額に汗して美味しく稼ぐ機会を朝鮮民族から奪った事を都合よく忘れているだけです。

 必要な議論はこれだけで満たしていると私は思いますが、せっかくですので数字も確認してみましょう。



国債で投資し、官業で稼いだ総督府


 インフレと戦時体制移行で数字がズレ始める直前あたりということで、1935年の朝鮮総督府決算を見てみることにします。

★ 官業会計のウェイトが大きい。収入源は広く薄く

 鉄道と専売事業(たばこ、人参、塩、阿片(!))、資産収入で1億76百万円を得ています。経費として鉄道、専売、営林署、逓信(郵便、電話等)の費用を差し引いても35百万円が手許に残った勘定になります。

 一方、租税収入は64百万です。内訳は下の通りで、付加価値生産に応じてかかる税(所得税、営業税など)のウェイトが低く、そうでないもの(酒、土地、砂糖消費)からの税収で半分以上に達しています。
 地税は実際には地税は小作人に転嫁されるのが通例だったという事なので、担税者の主力は小作人、酒呑み、甘党となり、貧富にあまり関係なく広く税が負担された事になります。更に専売収入の大半はたばこですから、総督府の税・事業収入の過半が、朝鮮の土地と朝鮮民族の嗜好品消費活動に依存していた計算になります。


★ 前年度剰余を繰り入れ、毎年余して次年度に繰り越している。

 単年度毎に余剰を回収されなかったのですから、総督府の自由度が大きかったということでしょう。1910年度以降毎年繰り越しており、1940年度末の繰越額は1.8億円に達していました。

★ 税金がとりたてて安かった訳ではない。

 朝鮮総督府の税務課が第86回帝国議会に出した説明資料(不二出版復刻版の第10巻P267-269)によれば、一人あたり所得と担税額、担税率は次の通りでした。
1943年度 一人あたり所得 一人あたり担税額 租税負担の割合
日本内地 817円 116.792円 14.2%
朝鮮 158円 18.968円 12%
 5倍を超えるすさまじい所得格差ですが、それでも12%程度しか違わない担税率です。累進課税制度であれば、平均負担率はもっと差が開くべきです。所得見合いでは、朝鮮での税負担はむしろ割高と言える水準だったとも言えるでしょう。

★ 公債費収入を受け入れ、国債整理基金に返している。

 「朝鮮の開発に必要なる継続事業費は朝鮮の一般歳入を以て之を支弁する余裕なかりしを以て、此等の財源は総て公債もしくは借入金に依ることとし…(中略)…大正八年三月、事業公債金特別会計法の公布に伴い、朝鮮事業公債金特別会計法は廃止せられ、朝鮮に於ける国債は中央政府に於て、一般事業公債と共に統一整理することとなれり」 (1941年度朝鮮総督府施政年報、P107-108)
 つまり、鉄道や港湾、道路などへの初期投資をするだけの財源が朝鮮自身にはなかったので公債を発行して借りた、1919年以降の発行分は日本本国の国債と一体化した、ということです。
 発展途上国、そして戦後スッカラカンになった日本も、外国や国際機関から借金してインフラを整備しました。これと似たファイナンスです。
 余談ですが、東名高速の静岡県内区間を建設するため日本が世界銀行から借りた借款を完済したのは1990年7月で、この日まで日本には借款の借入残がありました。国外からの開発借款がある事を発展途上国と定義するなら、日本はこの日まで発展途上国だったのです!

 という話はともかく、借金と赤字はイコールではありません。借金で投資した案件が経済的に成り立つもので適切に運営されるなら、返済期間は長いかもしれませんがいずれ完済できるものです。日本が朝鮮に建設した鉄道のうち、輸送の4分の3を占めた4幹線は1914年までに全通していますから、30年以上も経った1944年には投資が回収され、朝鮮の完全な所有に帰しているべきものでした。
 そうならなかったのが、侵略の侵略たる所以です。ともかく、1940年度末に朝鮮総督府が負っていた借入残は9億6413万円でした(1941年度朝鮮総督府施政年報、P109)。

★ 日本政府からもらいっ放しのお金は「補充金」、ウェイトは1割未満

 投資残高を赤字と勘違いしている向きを除けば、正味赤字と言い得るのはこの補充金ということになります。
 1935年度の歳入に占める割合は3.9%(右上グラフ参照)、金額の推移は次のグラフのような按配でした。

 1944年度以降は決算ができなかったものと思われますが、敗戦の年1945年まで予算通り全額支払われたとすると、朝鮮総督府が受け取った補充金は36年分総額で4.4億円になります。

 自業自得、「自己責任」と書いて猫の絵でも添えたプラカードでも突きつければ(趣味は悪いですが)済んでしまう「植民地経営の赤字」ですが、いま少し掘り下げて遊んでみましょう。


支出/収受を見る:「赤字」は朝鮮人民に貢がれてない


★ 収支トータルでは累積6億円以上の黒字だった

 公債による借金は後で見るとして、まずはお金の「もらう・あげる」から見ましょう。数字の出所、不明年度の仮定は上のグラフと同一です。

 軍事費繰入金というのは、1937年以降、日本本国の軍事費を朝鮮総督府が一部負担したものです。要は日中戦争で台所が回らなくなってきたから、自国の戦争の費用を朝鮮にも分担させようという趣旨です。
 そんなの朝鮮人民の知ったことではありませんが、ともかく負担させたのは事実で、このお蔭で日本政府からみた朝鮮総督府の累積赤字は1937年の3.1億円で底を打ち、1943年には黒転、1944年度末には予算ベースとはいえ瞬く間に5.8億円の累積黒字を積んでしまいます。

 赤字じゃないじゃないか。黒字じゃないか!

 どうしてこれが広く知られていないのかな。おそらく、「1936年まで朝鮮は軍事費を1円も負担していなかった」論が煙幕を張っているからなのでしょう。元から応分の負担をしていればもっと赤字になった筈だ、と。
 とんでもありません。
 ① 朝鮮に居た日本軍は、日本が外征するための軍隊。専守防衛には過剰で日本本国ですら重い負担になっていたし、朝鮮を日本から護っていなかったのは自明の理で、そんなもの朝鮮人民が費用負担するいわれはありません。日本の侵略戦争だった日中戦争、アジア太平洋戦争の戦費についても同様で、特に後者は連合軍が結果として解放軍になった故、朝鮮にとって全く無駄な戦いでした。
 ② 日本が朝鮮統治などしなければ出費しなくて済んだもの、どのみち日本国内で出費する事になったものは、朝鮮にツケを回す道理がありません。
 ③ そもそも帳簿外の話をしていいんだったら、未払い賃金とか賠償とか、いくらでも拡散していきます。議論は整理よくやりましょう。ここでお話ししているのはあくまでも総督府の帳簿の収支です。

★ 貸し借りを含めて考えても、政府部門は朝鮮側の持ち出し

 植民地期朝鮮の全体収支はきちんとした資料が揃っておらず、何がいくらの収支だったか自体が大学で研究のテーマになっています。
 左のグラフは、そのような研究書の1つである「日本帝国主義下の朝鮮経済」(金洛年著、東京大学出版会、2002年)掲載の算出額です。
 これが唯一絶対とは言いませんが、少なくとも専門の研究者がこのような数字を算出しているという事です。これをひっくり返すには、より信頼性の高い別の推算を提示する必要があります。
 プラスが日本側の持ち出し、マイナスが朝鮮側からの持ち出しです。

 国庫資金に日本軍の軍事費が含められているため、一つ上のグラフと数字が一致しませんが、それでもほとんどが戦時国債である「日本の有価証券購入」ひとつで朝鮮からの大幅持ち出し(5億円弱)確定です。
 左グラフは1944年までですが、1945年6月末時点では銀行部門だけで国債保有高が27.4億円に膨れ上がっています。
 なお、この金洛年教授の計算では一般民間会社の投下資金残高を11.4億円と算出しています。上記の1945年6月末国債残高を加味して政府部門と合計すればやはり朝鮮側持ち出し超過の推算となります。

★ 補充費に匹敵する正貨準備を朝鮮から得られた。充分ペイしている

 1910年から36年までの累計で朝鮮から持ち出された金(きん)の合計は、ネット(出入りの差分)で3.2億円弱です。同じ期間の日本→総督府の補充金合計は約3.2億円で、ほぼ同じ水準です。
 また、日本への移出額(ネット)を統計年報から入手できた1927-36年の8年間を見ると、全ての年で日本へは移出超過、外国へは輸入超過か±ゼロとなっており、8年間トータルでは朝鮮からの持ち出し量合計プラス34百万円分の金(きん)を日本に移出しています(下のグラフ、後述)。
 私はこれだけでも総督府への補充金は充分元が取れていると考えます。金資金特別会計というものが別途からんでいたようですが、関係ありません。
 理由の第一は、当時の世界では金本位制、つまり金(きん)が貨幣の基本という考え方が非常に強かったからです。
 第二に、日本帝国がこの朝鮮の金(きん)に払ったペーパーマネーの日本円は、後述するように戦後紙くず同然になったからです。
 結果として、日本帝国は朝鮮から紙くずで金(きん)を買ったのです。

 金本位制(明治序盤の日本は銀本位制)においては、銀行券は正貨である金(きん)の引換券として発行されます。本物のお金(かね)である金(きん)の代わりということで、これを兌換券と言います(右上画像は、かつて日本で発行された兌換券の5円札)。
 よって、発行できる銀行券の量は、発券銀行が持っている金(きん)の量で決まりました。概ね金(きん)準備高の3倍程度が上限です。
 日本が輸入超過になると、日本円を受け取った外国の銀行が日本銀行に来て、日本円と金(きん)の交換を要求します。これが過ぎると日銀の金準備高が減り、発行できる銀行券も減って経済が縮む、という仕組みです。
 現在の日本円は信用を裏づけとして発行されているだけの管理通貨ですが、戦後のブレトン・ウッズ体制も米ドルの金兌換を裏づけとしたし、今でも米国FRB、日銀を含め多くの中央銀行は金(きん)を信用担保の一環として保有しています。

 1930年、世界恐慌のさなかに日本は金輸出を解禁して金(きん)の国外流出→昭和恐慌の激化を招き、翌年末に金本位制をギブアップしています。ちょうどこの時期、左のグラフに見るように、金の朝鮮から日本への移出が急増しています。
 日本が恐慌下で金を大量に国外流出させていた1930-31年はもちろん、金本位制をギブアップした後もなお金には外貨準備としての意義がありましたから、この朝鮮からの対日移出は日本の金融システムの大きな支えになったはずです(日本銀行百年史第4巻第1章P71~82参照)。
 朝鮮の金鉱資源を支配下に置き、金(きん)を必要なだけペーパーマネーで買う事を可能にしたコストと考えれば、総督府補充金など安いものです。金と同じく正貨の歴史を持つ銀の1910-36年輸移出超過合計1.5億円を足して考えれば、充分にお釣りが来ると考えてよいでしょう。

 そして、これらの金銀は、敗戦のあと日本円がハイパーインフレで大暴落しても価値を失わなかったのです。敗戦までに費消してしまっていたかもしれませんが、それは朝鮮の責任ではありません。

★ 補充金は朝鮮人民弾圧に使われた無駄な出費。福利の役には立っていない

 これはよく言われる話のようです。1988年とちょっと古めですが、黄完晟氏の論文『植民地期朝鮮における戦時財政の展開』で数字を見てみると、司法警察費は1930年代前半に概ね年3千万円弱で推移、1937年から一気に4千万円前後に増え、1941年には51百万円、1942年には55百万円に膨れあがり、「歳出の5%にのぼったのに対し、日本の同経費は歳出の1%水準であった」(同論文、P69)。
 1942年の歳出総額は11.56億円で、1931年の2.07億円の5.6倍に達していましたが、それだけ歳出総額が膨れても司法警察費が4.76%を占めていた、ウェイト比で日本本土の4~5倍にのぼったという事です。
 年表でわかるように、植民地下の朝鮮では植民地支配ゆえの社会運動や事件、衝突が多数起こっていましたから、司法警察費が余計にかかった事は想像に難くありません。具体的にその分がいくらだったかを算出するのは困難ですが、メノコとして確かに充分そう言えそうな数字です。1930年代前半の総督府補充金は年13~15百万円レベルでしたから、ざっくり本土の倍以上の司法警察費がかかっていたなら、補充金はその割高分に全額消えていた、植民地支配ゆえの余計な出費だった勘定になるでしょう。どなたか計算してみてください。

 その外、総督府の歳出から日本人の利益に回った分を補充費分だけ探せばいいだけですから、他にもネタは色々発掘できるでしょう。


「莫大な資産」って、いくら残した?


 次は資産・出資・負債を見てみる事にします。
 ごくざっくりメノコで、本当はどれくらいの遺留資産があったのか、見当をつけてみます。
 非常に粗い計算ですから、桁くらいは合っているかも、程度の信頼性しかありませんが、桁のメドくらいは期待したいところです。

 まずは国有財産。朝鮮総督府施政年報1941年版のP104-106にかけて、1942年4月1日現在のデータが載っています。
 道路河川橋梁などの公共用財産は「台帳図面ヲ備ヘザルヲ以テ其ノ数量価格不明ナリ」として価額が載っていません。
 統治業務に使う神社・官舎などの公用財産は1,157,846,939円とありますが、土地2.6億円や鉱業権1.5万円、立木竹はもともと朝鮮の財産として存在しており、敗戦・解放によって元の持ち主に戻るだけと考えて除きます。
 営林財産は110,265,016円とありますが、森林は朝鮮の財産として建物と工作物のみ認めます。雑種財産86,225,115円も同様に考え、全合計を出すと総督府の創造した資産は上限952,621,769円と出ます。

 次に、民間資産をどうにかして積んでみましょう。朝鮮総督府統計年報の1940年版を見てみます。

 1940年度全朝鮮の工業所得は3,020万円、鉱業所得は343万円でした。商業所得は1.7億円ありますが装置産業ではなく、遺した建物や機材などの資産自体が収益を生む訳ではないので、鉱工業のみを見てみます。両者の所得合計は33,626,746円です。
 この所得を生み出す設備など一式を買収するとして、いくらなら投資に見合うか。買収に投下する資本に年利回り3%を期待するなら、払える上限は1,120,891,533円と出ます。
 鉱工業資産だけでは11.2億円にしかなりません。資本金は16億円払い込まれていますから、この差分以上の額は森林や田畑の買収に使われたということでしょうか。払込済資本金16.0億円と官有財産9.5億円を足した所までで、在朝鮮日本人資産は25.5億円です。

★ 差引きすれば、鉄道以外のインフラは全て朝鮮内の稼ぎで賄った計算

 政府部門が朝鮮側の持ち出しに終わっている以上、鉄道を含めても総督府のインフラ建設は全て朝鮮自前の財源=朝鮮人民の働きで賄った、日本帝国のお恵みではない、と言える事になるのはある意味自明ではありますが、一応念を押しておきましょう。

 「公債の発行により得られる財源は、原則としてこれを一定の費途にあてる制限の下に発行される、いわゆる事業公債に限定されてきた。しかもその事業は、直接収益をもたらすものか、または小数の例外を除いては、少なくとも間接には国家収入の増加に寄与する事業に限られてきた。」((財)友邦協会『総督府時代の財政』P150)
 という次第で、朝鮮総督府の公債は本質的には建設国債でした。鉄道以外にも使われましたが、主な用途は鉄道です。1940年度末の時点で、公債金の累計は8.45億円、鉄道投資累計は9.25億円ですから、公債金全額を上回る鉄道投資をしています。
 その鉄道は単独で収益事業に育っていましたから、総督府の公債は鉄道以外を加えた総合計でも益の出る投資になっていた事になります(詳しくは「鉄道を敷いてやった説」のページをご覧ください)。ここでまた一つ、「貢いだ」の根拠が崩れます。

★ ハイパーインフレに注意

 見聞する限り、どうも解放時点で日本人名義の在朝鮮資産は700億円などという計算が存在するようです。

 1943年度の朝鮮の国民所得42億円に対して17倍、日本本土の国民所得600億円より多いというのです。
 同年の朝鮮人民の担税率12%を100年続けても税収累計は単年所得の12倍にしかならないし、日本側出資だけで積もうとしても、1935年の総督府支出と同じ2.5億円をまるごと固定資産に30年間投資してやっと75億円の投資残高です(所得金額と担税率は朝鮮総督府『第86回帝国議会説明資料』による)。
 インフラが高度に整った世界一の債権国、2012年の日本ですら、国民純資産3,000兆円は国民所得の10倍に届かないのです。
 ご自慢?の鉄道財産が1937年3月末時点で4.3億円弱(朝鮮総督府「朝鮮鉄道四十年略史」P463)だと言ってますから、700億円というのはとても辻褄が合いそうにありません。次に述べる終戦直後のハイパーインフレを何らかの方法で10倍ほど織り込んだに違いないと睨んでいますが、中身を検証するのは700億円の計算根拠が世に登場してからということで、ここではうっちゃっておきます。


帝国主義の投資残高はハイパーインフレと財産税の腐海に沈んだ


 冒頭で説明したように、朝鮮総督府の開発投資は基本的に国債が財源でした。総督府が敷いた、あるいは数多くの赤字私鉄を買収して得た朝鮮の鉄道の真の資金供給者は、当時の日本国債を買った人達です。
 この時点ですでに「日本人の血税を貢いだ」という言説は誤りだと判りますが、では国債を買った人はどうなったでしょう。

 答えは、「内国債は全額償還された」です。帳簿上は、きちんと投資者に支払われています。
 しかし、戦後すぐの日本帝国政府は財政破綻状態で、国債の日銀引受=超カンタンに言えば輪転機をじゃんじゃん回してお札を刷って復員軍人の退職金など臨時軍事費を払ったうえに、極端な物資不足と預金引出しが火をつけて、物価はすごいことになってしまいました。















 データ元は、左のグラフが日本銀行「本邦経済統計」1946年版、右のグラフが総務省統計局です。
 どちらも戦前(左:1933年、右:1934-36年)を1とした時の物価を示しています。敗戦直後は闇市が盛んで公定価格と実勢にかなりの乖離があったので、正直な途中経過は不明でしょうが、1950年以降を見れば結末はわかります。

 日本帝国が無謀な戦争を無条件降伏で終えた1945年8月末、内国債残高はその8年前の約13倍、1,175億円に達していました。更にこの他、戦時補償債務が推計1,500億円も積み上がっていたのです。1944年の推定GNPが745億円なので(以上の数字は日本銀行百年史第5巻第3章、P3-4による)、上記2つの債務だけでGNPの3.6倍もの借金を積んで負ける戦争をやっていた事になります。
 この債務の中に朝鮮総督府分の国債も含まれていました。、1940年度末で残高は9.6億円でしたが、その後5年間(最後の2年は予算ベース)の公債金収入を合わせても28.7億円ですから、朝鮮総督府の債務が日本帝国政府の全債務に占めるウェイトは多くて1%ちょいだった事になります。

 戦時補償債務は税率100%の戦時補償特別税をかけて実質踏み倒してしまいました。ほか、最高税率90%の財産税を1回限りかけて、国民の財産を巻き上げています。
 国債は踏み倒しませんでしたが、国債は債券だから、最高でも額面分の支払責任しかありません。物価が100倍になれば、現金と一緒に国債の価値もそれだけ縮みます。国債を持っていた人(大半は日銀、金融機関、大蔵省預金部=郵便貯金)は額面通りのお金を受け取り、借金した側(日本政府、間接的には納税者)は元々の数百分の1に縮んだだけ負担して済ませてしまったのです。

 これが、植民地朝鮮に投資した日本帝国のお金の結末です。というより、戦前の日本円そのものの結末です。
 自ら起こした戦争のツケでハイパーインフレを呼び、全ては紙くず同然のチャラになったのです。
 いや資本金は現地で工場や機械に化けてるんだから、現物価値で計れと図々しく言う人が居るかもしれませんが、そんな事がなぜ要求できるのでしょうか。
 失った価値を試算するなら、失った時点、つまり遅くとも1945年9月25日より以前の価値で計らねばなりません。
米軍 朝鮮軍政庁 法令第33号 「朝鮮内にある日本人財産取得に関する件」
第2条 一九四五年八月九日以後、日本政府、其の機関、又は該国民、会社・団体・j組合、該政府その他の機関、又は該政府が組織、もしくは取締る団体が直接又は間接に、全部又は一部を所有又は管理する金・銀・白金・通貨・証券・銀行勘定・債券・有価証券、ならびに本軍政庁管轄内に存在する其の他総ての種類の財産、および其の収入に対する所有権は、一九四五年九月二十五日付を以て、朝鮮軍政庁が取得し、朝鮮軍政庁が該財産全部を所有す  (下線引用者。原文はカタカナ文)  1945年9月25日の時点では、まだ怒涛のハイパーインフレは始まっていませんから、何の現物に投資された資本金といえども、価値が百分の1以下に縮む前の日本円で評価額を固定されるべきものです。
 もし失った後の価値増殖もカウントしろ現在の現物価値でなきゃイヤだと虫のいいダダをこねるなら、これは接収後も所有権(請求権)が継続した話にしろという事ですから、1946年3月3日に最高税率90%でかけられた財産税をかけ直す話になり、いずれにしても民間人の手許には残らないでしょう。それに、朝鮮戦争で破壊され灰燼に帰した分の損失も負うべきことになります。

 戦時補償債務の踏み倒しと財産税さらに超ハイパーインフレで一億総スッテンテンになった事を忘れ、これらのプロセスを飛ばして「朝鮮に遺した財産ガー」と文句をたれる向きには、まず目録を出してもらい、朝鮮民族が寄与した分を査定し差し引いてのち、財産税を支払っていただくのがよいでしょう。


日本人が残した資産は韓国や北朝鮮ではなく、米国とソ連に接収された


 韓国に残した日本政府や日本人、日本法人の遺留資産は、38度線以南において米軍に、以北においてソ連軍に接収されました。
 前者は概ね3年後に独立した韓国に譲渡され、後者はソ連がごっそり本国に持ち出したとされています。
 「残した財産ガー」を言いたければ、相手は韓国や北朝鮮ではなく米国やソ連でなくてはなりません。
 万一「日本人が残した財産」に韓国(北朝鮮)が感謝すべき部分があっても、感謝の相手は譲渡元の米国(ソ連)になります。

 そして、日本が独立を回復したサンフランシスコ平和条約の第4条には、こう規定されています。
(b) 日本国は、第二条及び第三条に掲げる地域のいずれかにある合衆国軍政府により、又はその指令に従つて行われた日本国及びその国民の財産の処理の効力を承認する。
 この「第二条…に掲げる地域」には朝鮮、台湾、樺太、南洋諸島などが入っています。
 つまり、日本はすでに朝鮮に残した財産を条約で放棄しているのです。在韓国の日本人財産を接収したのは米国であって韓国ではありませんから、これで日本の請求権放棄は確定しています。

 そして、それと同時に、つまり抱き合わせで、日本は戦争賠償をまけてもらったのです。
 第14条 
(a) 日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。
 もしこれがイヤだというなら、サンフランシスコ平和条約を破棄し、賠償交渉を 【連合国と】 もう一度やり直さなくてはなりません。
 そうなれば、上に挙げた第14条の「今は貧しいから、賠償はまけてあげる」もご破算となり、戦域での戦争被害はもちろん、米英軍がアジア太平洋戦域で費やした戦闘費用などありとあらゆる請求書を連合国から改めてつきつけられることになります。

 私有財産まで没収する第4条の規定はハーグ陸戦法規違反と唱える向きもありますが、その補償をすべきは戦争賠償のカタに第4条を認め国民の財産を連合国に差し出した日本政府であって、連合国ではないし、まして韓国には何の責任もないのです。おまけに、どのみち財産税で失う運命だった事も忘れています。

 北緯38度線より北はソ連が占領しており、接収したのはソ連軍ですが、そのソ連とは次のように日ソ共同宣言を結んでいます。
6 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。
日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、千九百四十五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。
 というわけで、北緯38度線以北についても、サンフランシスコ平和条約と同様のロジックになるものと思います。
 北朝鮮の建国は1948年で、日本との戦争主体ではありませんでしたから、やはり北朝鮮に対して何かを請求するのは間違いです。


戦後の米国支援から見れば僅か


 最後になりましたが、戦後の韓国において日本帝国が遺した財産なるものの貢献度がどれほどのものだったかを占う数字を一つ挙げておきます。

 日本帝国が遺した財産(のうち、大韓民国の支配領域に入った南半部)の評価額によって多少のズレはありますが、許粹烈『植民地朝鮮の開発と民衆』(明石書店、2008年)P291のグラフによれば、終戦後たった2年で米国の対南朝鮮援助額が日本帝国の遺留資産額と並びます。
 その後は米国の援助額がどんどん膨らみ、1960年には累計約30億ドルに達する一方、日帝の遺留資産は朝鮮戦争で約半分に毀損し、「1960年の時点を見ると、日帝時代の物的遺産はアメリカの対韓援助額の約7分の1に過ぎないレベルに落ちる。要するに物的遺産という側面でだけ限定して評価すれば、解放後朝鮮南部地域に残された日本人工業資産は、1960年代以降本格化される韓国の工業化で、大変限定的だったのである」(同書、P292)。
 グラフを読み取る限り、7分の1どころか10分の1以下と読めるのですが、ともかく恩を着せるのはどのみち無理のようです。


 長くなりましたが、これで「朝鮮に貢いだ」「莫大な財産を遺した」説は成り立たない事がおわかりいただけましたでしょうか。



朝鮮戦争後、資産価値ゼロから韓国は出発
>長くなりましたが、これで「朝鮮に貢いだ」「莫大な財産を遺した」説は成り立たない事がおわかりいただけましたでしょうか。

朝鮮人は土人でその日暮らしであり、一握りの貴族と多くの奴隷の国でした。まともな舗装道路さえありませんでした。土の道はうん○だらけで衛生状態は悪く、外国人なら誰も来たいと思いませんでした。そんな地獄のような国の資産価値はゼロです。誰も買いたいと思いませんから。
それが第二次大戦後、資産価値がプラスになった状態、日本人が値付けできて買える状態で韓国政府に引き渡されたのです。ゼロとプラスの比較は無限大です。韓国人は日本に感謝すべきです。本来、日本は韓国を封鎖し、日露の戦場荒野として扱えば良かったのです。これこそ、資産価値ゼロの国土であり、韓国は日本に感謝する理由はないです。
朝鮮戦争で朝鮮人が南北に分かれて全部自分達で破壊し、資産価値ゼロにしたんです。だから、朝鮮人は日本のありがたさが分からないのですよ。目ぼしい物を全部自分達で壊してしまったのですから。
朝鮮戦争が再開されないことを希望します。
要約
日韓併合前の韓国に住みたいですか。住みたくありません。資産価値ゼロです。
日韓併合後、第二次大戦終結直後の韓国に住みたいですか。資産価値あります。
ざっくり、こういうことです。
韓国人に先祖について尋ねると自分の家は貴族だったと過半数が答えるそうです。貴族だった人が併合前を懐かしんでいるのです。なんで貴族が国民の過半数もいるんですか。
しかし中韓という国は・・・・
不確かな歴史をねつ造し、それを世界中にまき散らしている。これらの国々のやっている事は、他国を汚く罵り陥れようとしている。そのような事をやり続けて国同士、人間同士の友好関係が出来る訳がないという事が何故わからないんだろうか、いかんともしようがない国々ね。もちろんどんなにねつ造した歴史をばら撒こうと、もはや相手にする国々ではないでしょう。。じっくりと自滅するのを待ちましょう、地球が破滅するまでね。まともに相手にする国々、民族ではありません。ただ間違いに対してい確実に反論しておきましょう。現在の潘基文というんですか国連の事務総長、これは酷いね。この人何やってたんかね。この前の中国における抗日70年とかいう訳のわからん軍事パレードに自分でも逮捕しろと言ってたんじゃんなかったっけ、国際手配されている大統領と隣り合わせてで参加していたな。その場で何故逮捕させなかったんだ。おかしい人だね。また、UNESCO's Memory of the World Register (日本では世界記憶遺産と訳しているらしいが、heritage、遺産でもなんでもないね、単なる記録。だから申請された間違った記録を精査、調査するわけでもなく内容が出鱈目でも数名の委員が良いと勝手に思ったら登録されるという、実にいい加減、あきれた代物らしい。またMemory of the World Registerの日本語訳がおかしいという事らしいです)-南京虐殺事件をUNESCO's Memory of the World Registerに登録を認めたユネスコ事務局長も潘基文と一緒に中国における抗日70年とかいう訳のているわからん軍事パレードに参加している。これは最近の韓国人、中国人に汚染されている国連の一端が噴出しているのかもしれない。となれば国連は信用できな。この汚染を止めるには、日本を早く常任理事国にさせることも一つでしょう。

最近、韓国が日本の経団連か何かにスワップ協定を復活してくれと懇願しているそうですが、どの面さらして言ってるんだろうね。懇願する前にやる事あるだろう。朴の反日外交、汚らしい像の撤去とかね。しかし、もう根本的にこの国は信用できません。土壇場で平気で嘘をつく外務大臣がいるくらいですからね。

そういえば、ベトナムの慰安婦達からベトナム戦争中に、韓国の兵隊から強姦され子供をうませられたと言って、謝罪を要求されている。これは、どうするんですか朴大統領。

ダヤン氏へ
李氏朝鮮は確か莫大な借財を残していたはず。
それをまず誰が払ったのか。
そこを飛ばしてしまえば、朝鮮人自身で国家統治できたはずとか言える。
利益を生み出す能力がなく、借財があれば、必要な投資の資金を自ら生み出せない。
利益を生み出す能力がなければ、外からの投資も来ない。
李氏朝鮮の末期は八方ふさがりの状態だったはず。
その悪循環を日本との併合で上手く断ち切れた。
本来、来るはずのない必要な投資を日本が適切に行った結果、米の増産が図られ、人口は三倍に増えた。
人間は返すことのできない無償の善意をもらうと、相手を憎むという。
精神的に支配されているようなものだからだ。
韓国の反日の原因の一部は、永遠の日本の格下を運命づけられている韓国の宿命かもしれない。
「歴史修正主義者・紀伊国屋さんへ」
人口が増えたのは日本の統治が朝鮮人を豊かにした証拠だという説

 
貧困国でもさんざん人口爆発しているじゃないか、の一言で済みそうですが、一応きちんとレビューしてみます。
まとめ

① 人口統計の信頼性が低く、2倍になったというのはデータの間違いと考えるのが妥当
② 人口は貧困に陥っても増える。人口が増えたのは豊かになった証拠ではなく、むしろ逆の説明材料にも
③ 百万人レベルの人口流出が起きていた。人口から見るなら、生活を困窮させていたと考えるほうが素直


 豊かさを云々するなら、人口がどうとか遠まわしに撫でるより所得データを探したほうがよほどストレートではないかと思いますが、所得を見ると植民地化から30年以上を費やしてなお5倍を超える所得格差に押し込めていたのですから、なるほど「豊かにした」論者は所得データを見たがらないでしょうね。
 併合から20年以上も就学率2割以下に放置、最後まで義務教育を施行しなかったのですから、大半の朝鮮人民が低所得の仕事にしか就けなかったのは必然の成り行きで、このようにちゃんと数字に出てしまっています。ウソだと思う向きは、不二出版復刻 『朝鮮総督府 帝国議会説明資料』 第10巻P268を確かめるべし。

 という訳で最初から結論は見えているようなものですが、人口増加→豊か説そのものも検証しておきましょう。
 まずは人口統計を視覚化してみます。データは朝鮮総督府統計年報の各年度版から拾いました。

年あたり人口増加率は併合直後の5%台から急激に下がり続け、1918年以降は1%近辺で安定しています。
 人口増加が豊かさの指標であるなら、併合後8年ほど貧困化が進行、以後国勢調査の年だけ餅がふるまわれた事になります。

 実際には、1910年代の人口増加は捕捉率の向上がもたらしたもので、実際にそれだけ朝鮮人人口が増えたわけではない、と指摘されています。「一〇年の統計は不備があり、実際は一七〇〇万人ほどと見られる」(趙景達『植民地朝鮮と日本』P138)との事ですが、併合直後の体制が整わない段階で相当に打ちもらしがあったと考えるのは十分合理的です。

 そこで念の為、この統計の整合性を見てみます。出生と死亡の差 が人口増減 とどれくらい一致しているか
見てみましょう。
 ギャップは1911年段階で59万人にものぼり、1919年に向けてほぼ一直線に収束しています。そして、併合直後の10年間で2,505,689人も、出生ならざる理由で増加しています。
 当初、統計の人口捕捉率が良くなかったことを傍証しています。これを統計の捕捉率向上以外の理由だというには、どこから250万人もの人達が登場したのか、史料に則って証明する必要があるでしょう。


 以上、ざっくり人口を眺めたところで、次に行きます。

 そもそも、人口が増えたら豊かになった事になるのか?

 なると思っている人は、人口爆発のニュースを読んだ事がないのでしょう。不勉強です。「ひもじいと子供を作れない」が正しければ、日本が最もひもじかった戦後すぐの時期にベビーブームで団塊の世代が集団出生する訳ないではありませんか!

 人口増加は貧しい国でも起こります。「貧乏人の子だくさん」という言葉が示すように、稼ぎ手を増やすべく多産になるからです。
 バングラデシュは人口爆発を抱え、今も貧困が問題になっています。
 中国のこの時期は大躍進失敗→文化大革命と受難を重ねています。
 韓国は李承晩政権が倒れて後、'70年代に「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長を遂げた時期にあたります。

 こうしてみると、人口増加と貧困脱却は特に関係ないことがはっきり見て取れます。
 人口増加の頭打ちと先進国化は関係あるでしょうが。

 人口で豊かさを推し量るなら、むしろ出稼ぎや難民として国外に出た人の人数を見たほうが正解です。
 ふるさとで不自由なく暮らせるなら、わざわざ言葉の異なる所に稼ぎに出る必要がないからです。

日本在住の朝鮮人人口を2つの統計で示した
ものです。
 一つは内務省統計(毎年データあり)、もうひとつは国勢調査の民族別人口統計(10年に一度)です。
 国勢調査のほうが精度が高いと見ていいでしょう。常に内務省統計より高い数値を示しています。

 企画院による労務者動員が始まる直前の1938年時点で、在日朝鮮人人口は799,878人に達しています。
 約80万人という数字は、朝鮮本土の朝鮮人人口2195万人に対して3.6%にのぼります。
 この他にも満洲に移動した人が居り、相当な数の人が故郷を離れた事を示しています。

 『日本政府は、朝鮮人労働者の流入による失業者の増大を恐れ、景気の変動によって自由渡航制と渡航規制を繰り返した。…三七年の兵庫県の調査によれば、彼らの渡日理由の実に七五.六五%は「生活難」であった』
 『渡日者のほとんどは最底辺労働者となった。土工・炭鉱夫・紡績工女などが多かった。…工場での賃金は日本人の六十%ほどにしかならなかった。それでも…兵庫県調査では、日本での生活は朝鮮での生活より「楽とするもの」が七八.四七%に及んでいる。』 
(趙景達『植民地朝鮮と日本』P145-146より引用、太字は引用者)

 このように、百万人になんなんとする人達が食い詰めて域外に出る状態を「豊かにした」と言い得るでしょうか。
 これは人口から推定するより、ストレートに貧富困窮を表すデータを探したほうが適切と思います。が、少なくとも人口の動きを根拠に何かを言うなら、豊かにしたのではなく、食い詰める人を相当に出したというほうが論理的に素直です。



平均寿命
日韓併合直後、韓国人の平均寿命は24才でした。
日韓併合末期、韓国人の平均寿命は45才でした。
韓国の両班と呼ばれる貴族は横暴で、庶民を苦しめていました。その結果が24才までしか庶民は生きられなかったのです。
日本は韓国から両班を取り除いてやったのです。両班からいじめられる恐れかなくなった庶民は枕を高くして眠り、平均寿命は45才に伸びたのです。
平均寿命が倍に伸びれば、人口も最低でも倍になります。
人口と平均寿命でその国の幸福度を客観的に調べることができます。
主観的に幸福かを論じると神学・宗教論争になります。
日本社会は幸福な人が多いです。
『匿名という御花畑さんへ』
「日本が朝鮮に鉄道を敷いてやった」という言説について

 「朝鮮自前の鉄道建設を日本が阻んでやった」と言い換えると有り難みの内実も判りやすそうですが、ともかく事実関係を見てみましょう。
まとめ

① 併合がなければ韓国が独自に作っていた。日本はその機会を力ずくで横取りしただけ
② 鉄道敷設は利権。日本は感謝を要求する筋合いになく、むしろ「敷かせてもらった」立場
③ しかも、稼ぎの9割を担った5大幹線の初期投資は元本回収済みと考えるのが妥当
③ 国債で建設費を賄ったので「日本人の血税」は殆ど無関係。その国債をハイパーインフレで紙くず同然にしたのは日本自身


 最初に最も基本的な事実を確認しておきます。

 投資を行い、投資物件が利益を生めば、それは投資家のポケットに入ります。
 鉄道が朝鮮自身の所有なら、投下資本を回収した後の利益は朝鮮自身に落ちます。
 しかし植民者日本帝国の所有だったので、利益は日本にしか落ちない。これが搾取です。
 1940年末時点で、投資額累計10.1億円に対して(単式簿記のようですが)収益累計も4.1億円に達し、1931年までの投資累計額をカバーしていたのです。
(おおまかな全体像は右グラフの通り、後ほど大きめのサイズでもう一度呈示します)
 韓国が独立を保ったまま借款で建設していれば、利子を考慮するにしても、少なくとも収益で投資回収した分は韓国の所有に帰っていたのです。

 そして、投下資本を回収できない赤字事業なら、それは投資した者の責任による失敗です。赤字しか産まない施設を遺すのは「尻拭いの押しつけ」であって、何ら有難味のある話ではありません。
 後で見るように、日本帝国の鉄道投資は回収を考えていない要素がありました。朝鮮自前の投資なら、たとえ外国からの借款で建設したとしても、そのような投資にはおのずからブレーキがかかったでしょうし、失敗しても自己責任だったのです。押しかけ押しつけ投資の赤字は、押しかけた側の責任ですから、押しかけた側が黙ってかぶるしかありません。

 どんな数字を並べても、上の事実は変わりません。よく「日本は××円も朝鮮に貢いだ」云々と必死に言い募る投稿をネットで見かけますが、この投資の根本を理解できていない経済音痴か、さもなくば投資失敗の責任を投資先になすりつけているだけです。

 それでは、事実関係を見ていきましょう。


日本は自力建設を阻んだだけ。「日本がやらねば出来なかった」は思い上がり


 『朝鮮鉄道四十年略史』という本を朝鮮総督府が1940年に出しています。これが黎明期の話を赤裸々に漏らしていて面白いので、帝国趣味な自尊臭にむせながら第一章をかいつまんで引用してみます。
 歴史の本でも同じ事が指摘されていますが、当事者本人に告白してもらうのが一番近道です。

 『…朝鮮の為政者は、内政刷新の要を認め、なかんずく鉄道の建設はその最も急務なることを認めたが、…財源の枯渇甚だしく、自ら之に当る実力なくその建設資金を外国に需めんとする情勢となった。
 ここに於て帝国政府は国防共衛、経済共通の見地より我が国力を以て之を敷設することが、隣邦誘掖上最も緊要適切なることを認め、既に清兵を開城付近まで掃蕩した明治二十七年八月二十日、…先づ京釜、京仁両鉄道の敷設権を認めしめた。』 (下線は引用者、以下同様)
 『…列強は、鉄道敷設権が我が国に帰属することに対し少からず不満を抱いていたが、細目協定の交渉進行に際し、…英・米・独・露四カ国代表者は連名を以て朝鮮の外部大臣に鉄道・電信等の利権を専ら一国のみ許すは、他の各国商民に取って不利益なりとの警告を発した為、協定進行上多大の支障を惹起…』
 『四国干渉に依り我が計画は頓挫する…国論は軍備の充費に集中されたが、台湾の領有と共に北守南進論台頭し、一時半島鉄道の建設をはばかる暇なき観を呈した。あたかも戦後財政の疲弊した折から実際に鉄道経営に着手する望み薄く、また細目協定に関する朝鮮政府の態度極めて要領を得ない間に、朝鮮政府は明治二十九年三月二十九日、京仁鉄道の敷設権を米国人ゼームス・アール・モーリスに特許するに至った。…我が既得権益は之に依って完全に蹂躙せられるに至った。陸軍は之を以て国防上由々しき一大事なりとして政府に意見書を提出し、敷設権を我が国に買収せんことを主張した。』
 『然るに朝鮮内に於ては国権強化の主張漸次台頭し、殊に鉄道の自力建設論有力となり、翌三十年…に至り京元鉄道敷設権に関する各国の要求起るに及んで、外国人に対して鉄道及び鉱山に関し一ヵ年間特権許可禁止の命令を発し、更に三十一年一月既に認可を与えたものの外一切之を外国人に許可しない方針を決定したが、我が国の既得権たる…京釜鉄道契約の締結を見るや、露・独・米の諸国は京元鉄道敷設権の獲得に関し韓国政府に迫り、また独逸領事は明治三十二年鎮南浦から平壌を経て元山に至る鉄道敷設権、ならびに京元鉄道に対する資本供給の利権を要求し、露国は明治三十六年京義鉄道の敷設権を要求したが、いずれも我が厳重な警告に依って之を拒絶せしめた。
 また当時台頭した自力経営主義と相俟って名義上の敷設権を獲得し、のち外国の出資に頼らんとする者もあったので、我が国は之に対しても警告するところあり、ついに欧米列国の利権獲得運動が奏功するに至らなかった事は、東亜の為にもまことに幸とする所であるが、此の間に処して我が当局の苦心努力は大なるものがあった。』
 いかがでしょうか。

 作りたい人はたくさん居た訳で、別に日本でなくてもよかったのは明らかです。
 諸外国も鉄道を作らせろと押し寄せていたし、民族資本を使って敷設権を守ろうとする動きもあったのに、外国はおろか民族資本までことごとく妨害したと自慢気に述べています。
 日清戦争で財政が痛み自分はお金を出せない状況でも、他人が金を出す話には強烈に文句をつけている体たらくで、「韓国政府にはお金がなかった」のは日本の妨害のせいなのが露見しています。
 そして、日本帝国が鉄道敷設を自分の権益、それも国防がらみの権益として捉えていた事を赤裸々に白状しています。

 借款競争がいけないとまでは言いませんが、以下は事実として認めねばなりません。
① 日本以外にも鉄道を敷きたい国はいろいろ居た。借款供与の意志ある国・外国資本も居た。
② 朝鮮=韓国自身の手で鉄道を敷設する動きが当初からあったし、資金の貸し手も居た。
③ 朝鮮自力の鉄道建設ができず日本が独占敷設したのは、日本が自らの利益のため①②を妨害したから。


 ここで少し寄り道して、朝鮮総督府の鉄道事業なるものが一体どういうものだったのか、ついでに見てみましょう。


客が少なく経営不振が続いた

これは、路線1kmあたりいくら稼いだかを示しています。

 1920年代末頃の数値で、同時期の他の地域と比べていますが、韓国併合後20年近く費やしてなお北海道の8割強しか稼いでいません。一番の儲け頭である京釜線でやっと全日本の6割強。
 日中戦争による軍需輸送などで業績の上積みをした1940年にようやく、その10年ちょい前の全日本に対して9割を超えます。

 1943年の急激な伸びは、戦争による陸運非常体制の一環として、中国大陸の物資を陸上転嫁輸送した事に加え、インフレによる費用増と乗客抑制のため運賃を値上げした事によります。船便の振替輸送なので、朝鮮の経済発展を反映している訳ではありません。

輸送密度で見ても、日本の1920年の水準に追いつくのはやはり1940年頃でした。基幹の幹線である釜山~京城~新義州947.2kmのうち複線区間は1936年の時点でわずか12.0km。1940年にようやく340.1kmに増強されますが、それまでは複線化を急ぐほどの需要がなかった事のあらわれと言えるでしょう。

 なんでこんなに儲からないのか。1925~32年に総督府鉄道局長を務めた大村卓一はこう言っています。
 「由来朝鮮の鉄道はその出発点が、当初政治上または軍事上に起因するもの多く、したがって天然の資源を求め経済地点を辿りて漸次発達したる底の鉄道と少しくその趣を異にし」 (出典:上グラフに同じ、P81)
 つまり、お客のたくさん居る所をたどって通すのが常道なのに、朝鮮の場合は軍事上の必要を基準に経路を決めてしまったので経営がしんどくなった、という訳です。

 また、軍用に突貫工事で作った京義線は全線開通前の1905年度から1911年まで延々と、線形を変える改良工事を続けています。ムダな重複投資が生じていたと見るべきでしょう。

 こんなデータが残ってるんですね。朝鮮国鉄の利用者数を民族別に数えています。
 これを人口で割ると、一人あたりの乗車回数が出ます。
 朝鮮民族の人々は一人あたり年1回も乗っていなかった事になります。
 これを「朝鮮の鉄道は日本人のためのものだった」と見るか、「いやそれでも乗客数で見れば朝鮮人のほうが多い(約8割)」と言うかは別として、なじみはなかったと言っていいでしょう。


先に作られた5大幹線でシェア9割

 次に、中身をもう少し細かく見てみます。
 1936年の輸送量を線別の割合で見たものです。

 旅客も貨物も、1914年までに開通した4路線(京釜線、京義線、京元線、湖南線)で全輸送量の約4分の3を占めている事が見て取れます。後から開通した咸鏡線を加えれば旅客88.6%、貨物93.1%になります。

 この上位5路線は、下の地図の場所を走っていました。
 咸鏡線を除き、1918年以降1936年まで新たな支線の開通はありません。咸鏡線が途中ちぎれている部分は、1928年に開通します。
※馬山線と鎮海線は、慶全線に含めています。

 通常、京釜線と言えば京釜本線だけを指しますが、ここでは京城~釜山の京釜本線の他、京城~仁川の京仁線を含みます。同様に、京義線には京義本線の他、何本かの支線を含みます。元データの朝鮮総督府統計年報がそのように束ねてデータを出しているためです。

 早期に建設された路線ほど、投資の回収も早く終わる道理です。
 従って、早期に完成した5大幹線に利用者の9割が集中していた事は、幹線の投資回収が相応に終わっていた筈であることを示唆しています。
 線区ごとの投資・収入を分解するだけの資料が手許にないので、全体の傾向だけでも見てみましょう。朝鮮国鉄への投資累計(併合前含む総額)と、純収入累計です。




金利を考慮しない額面だけの比較ですが、1939年度までの収益累計で1928年度迄の投資累計以上を稼ぎ出しています。1943年度までの収益累計なら、1937年度までの投資累計額をカバーします。

 これ以降の投資は戦時輸送に係る京釜、京義両本線の複線化投資などが主になっていたと思われます。陸上転嫁輸送だけでも1943年度実績は17億トンキロ、1944年度見込みは52億トンキロ、1945年度見込みは69億トンキロで、各々輸送総貨物の18%、37%、40%を占めていました(第86回帝国議会説明資料より引用、算出)。これらは戦争がなければ需要も発生せず、それを見込んだ鉄道投資も不要でした。

① 京釜線・京義線・京元線・湖南線・咸鏡線の5大幹線が輸送の9割を占めていた
② 5大幹線は1928年に会寧まで全通しており、その初期投資の元本は回収済みだったと考えるのが妥当
 以上を確認して、次へ行きましょう。


5大幹線はこうして作られた

5つの幹線すべて、日本が多少なりとも力ずくで敷設権をもぎ取ったものです。京仁線と京釜本線以外は、もともと韓国の民族資本に敷設権が免許されていたものを横取りしています。いかにして独占敷設したのか、いまいちど詳細に確認しておきましょう。

 京釜線、すなわち京仁線(ソウル~仁川)と京釜本線(ソウル~釜山)は、日清戦争で日本軍が朝鮮の首都漢城を占領する中、日朝暫定合同約款で日本が敷設するものとして委細協議するよう認めさせたものです。

 戦後、王妃を殺害した日本から逃れるべく朝鮮の高宗王がロシア公使館で執政した露館播遷のさなかに、京仁線の敷設免許は一転、米国人モールスに発給されます。
 しかし、日本の渋沢栄一がモールスの事業不調に乗じてこれを買収し、1899年、仁川からソウルの鷺梁津まで開通させます。

 京釜本線は1898年、渋沢栄一らの設立した京釜鉄道株式会社が路線免許を取得します。金と技術は日本が出し、土地は韓国政府が無償で提供するという条件でした。1901年に着工し、1905年1月1日に営業を開始します(渋沢社史データベースより)。

 この2本の路線も武力を背景に敷設権を取っていますが、植民地化なんかしなくても鉄道を敷けたじゃないか、という主張の強力な証拠でもあります。なお2路線とも民間会社が敷設しましたが、1906年には京釜鉄道買収法によって日本政府に買収されてしまいます。

 京義本線(ソウル~新義州)は1896年1月フランスが敷設権を獲得しますが、期限までに着工できず1899年に免許が失効、権利が返還されます。韓国政府は同年7月8日、民族資本である大韓鉄道会社に敷設権を与え、1902年5月8日にソウル~開城の起工式が行われます(敷設権特許の日付は渋沢社史データベースによる)。
 どうにか自分の手中に収めたい日本政府は、大韓鉄道会社に資金を貸し込む形で間接支配の足がかりを得ます。小村寿太郎外相は1903年11月9日、在欧州の在外公館に次のように通知しています。
 『京義鉄道敷設権獲得はわが対韓経営の要項として、…直接の方法に依り…譲与を得るは実際■々難し■事情に有…差当り間接の手段に依りてなりとも之が実権をわが手に収むることとし、在韓公使に於て右方針に依り内密尽力の結果、■■大韓鉄道会社との間に本邦人網戸得哉の名義を以て借款契約に関する権利を取得…』    (■は私には判読不能。アジア歴史史料センター Ref.B04010923700)  敷設権の獲得が韓国経営の要、直接支配が無理なら間接にでも、という趣旨を明確に述べています。最初に貸したのは15万円でした。

 そしてその3ヶ月後、1904年2月に日露戦争を開戦すると、日本政府は韓国の首都漢城を占領して、早くも23日に日韓議定書を韓国政府に結ばせます。
 この第4条が、日本政府にとって肝の一つでした。
 『第三国の侵害により、もしくは内乱のため大韓帝国の皇室の安寧あるいは領土の保全に危険ある場合は、大日本帝国はすみやかに臨機必要の措置を執るべし。而して大韓帝国政府は右大日本帝国政府の行動を容易ならしむるため十分便宜を与うること。
 大日本帝国政府は前項の目的を達するため、軍略上必要の地点を臨機収用することを得ること』  早い話が、第三国=ロシアが韓国に攻め入る危険があるとみたら日本帝国は必要と思った事をやるから、韓国は便宜をはかれ、土地も好きに収用させろ、ということです。この結果どういう事になるかというと、小村外相は枢密院に2月24日、次のように報告しています。
 『此の如く第四条に依りて日本は如何なる処置をも取ることを得、必要と認むるときは韓国に於て軍略上必要の地点を収用し、あるいは貯炭所を設け、あるいは軍事鉄道を布設する等充分なる行動を取りえるなり。
 すなわち、今回の戦争の結果として本議定書は韓国との関係をあきらかにする端緒となれり。
 之より必要に応じて一歩一歩其の交渉を進め行くつもりなり』
    (アジア歴史史料センター Ref.A06050148200)
 こうなるともう、何の遠慮もありません。『本線ノ敷設ハ軍事上ノ必要ニ基クガ故ニ韓国政府ノ承諾ヲ求ムルに非ル』(小村外相から林公使宛訓令)として、3月12日にはソウルから開城まで、4月9日には更に平壌まで、更に6月25日には終点・新義州までの路盤工事に着手してしまいます(日付は渋沢社史データベースより)。
 片端から土地を取り上げ人を徴用して突貫工事をし、相当な軋轢を呼びました。電信線切断や工事妨害が頻発し、9月には始興民擾、谷山民擾と呼ばれる大きな暴動を起こし、日本側に死者も出しています。それでもごりごり突貫工事を進め、一部河川の渡し舟区間を除き1905年4月28日夜にレールを全てつなぎ終わります。(アジア歴史史料センター Ref.C06041156600)
 日露戦争のために急いで建設された、とよく言われますが、戦争終了後もせっせと作り続け、全ての橋をかけて全通させたのは1906年の4月です。こうして、日本帝国は敷設権を武力でふんだくり、京義線を自分の鉄道として敷いてしまったのです。

 京元線と湖南線は、上に挙げた路線とともに、20世紀に入る前から韓国政府の鉄道建設計画に入っていました。

 京元線の敷設権は1899年6月17日、諸外国の要求を退けて、「京城より元山、慶興に至る鉄道」として朴琪淙の国内鉄道用達会社に特許しています。慶興は北朝鮮のもっとも北東端の豆満江近く、ロシア国境から20km位の所ですから、これは咸鏡線も併せて免許されたという事になります。
 ところが日露戦争を始めた日本は1904年9月、
『帝国政府は今次軍事上の必要に基き京城より准陽を経て元山に至る間に軍用鉄道を敷設し、若くは道路の修築を為すことに決定し之を貴政府に通牒し、併せて今後必要に応じ北青及び鏡城を経て豆満江岸に線路を延長すべきを以て、之と競争若しくは並行して鉄道を敷設せざらんことを予め保留すべく、将又京元間鉄道敷設にあたり必要なる土地収用其の他に関しては京義間軍用鉄道と同一事例に依り貴政府に於て相当便宜を供与せんことを期待す』
と韓国政府に申し入れ、軍事を口実にしながら将来の咸鏡線までお手つきしたばかりか競合路線を作るな便宜を計れと言いたい放題、いけしゃあしゃあと「条約及び契約等の形式は軍事作戦施設の波濤の下に埋没せらるるに至った」(朝鮮鉄道四十年略史、P27)事態に持ち込み、京義線同様、日本帝国が国内資本の敷設権をぶん取ってしまいました。
 本格的着工は1910年ですが、1904年10月に一部工事を始め、翌年にわたり元山から16kmほど路盤と橋を完成したと言います(朝鮮鉄道四十年略史、P61)。

 湖南線は1898年、韓国政府は京城~木浦間の鉄道を自前で敷設すべき方針を決定します。外国に渡さない為の予防線だったようです。
 時を下って1904年6月8日、「稷山より江景群山に至る間および公州・木浦間鉄道」として、徐午淳という人物に敷設権が与えられています。 公州は大田のすぐ西にある町、稷山は現在の天安市にあります。
 その後の踏査で、徐午淳は路線の起点を稷山から鳥致院(天安と大田の中間)に移し、1906年10月に測量を完了しますが、土木工事に少し手をつけたところで建設の動きが止まったまま1909年、日本に内政権を握られた韓国政府により路線免許が取り消されます。

 こうして京元線、湖南線双方とも日本帝国の手により、韓国併合直後の1910年10月に起工し、1914年に全線開通します。

 長くなりましたが、要するに
① 5大幹線はいずれも、韓国の保護国化以前に完成したか、韓国自前の建設計画を日本が横取りした「大きなお世話」
② 日本は自ら利権を求めて敷設した。頼まれた訳でもなく、ましてや慈善事業ではない

この2点を確認したところで、次へまいります。


後期に開通させたのは赤字ローカル線?

1936年の輸送密度を線区別に出したものです。
 これに線区ごとのランニングコストや初期投資の割掛けを加味すると、線区ごとの収支がだいたい判りそうです。

 ざっくり見て、5大幹線以外は全朝鮮国鉄で見た輸送密度の半分にも届いていません。
 輸送密度が全体平均の半分に満たない路線は、路線建設に投じた投資を回収できるだけの稼ぎにはほど遠かったと考えていいでしょう。
 どうしても鉄道建設で恩を着せたい向きは、これら後発ローカル線の採算性を証明して右グラフからの合理的推定をひっくり返し、投資を経済的に正当化しなくてはなりません。私は興味ありませんが…

 で、そんな話はどうでもよくなるような事件が最後に起きます。


そしてほとんどチャラになった


 「朝鮮の開発に必要なる継続事業費は朝鮮の一般歳入を以て之を支弁する余裕なかりしを以て、此等の財源は総て公債もしくは借入金に依ることとし…(中略)…朝鮮に於ける国債は中央政府に於て一般事業公債と共に統一整理することとなれり」
(1941年度朝鮮総督府施政年報、P107-108)

 ということで、鉄道への投資は日本国民の税金ではなく、もっぱら中央政府の国債で賄われていました。
 朝鮮に日本帝国が敷いた鉄道の真の資金提供者は、当時の日本国債を買った人です。
 鉄道以外に使われた分もあわせ、朝鮮総督府分の国債発行残高は1940年度末で約9.6億円でした(同上施政年報、P109)。

 その国債がどうなったかというと、アジア太平洋戦争で日本帝国が1100億円を超える莫大な借金をしたあげく、日銀引受で(=超簡単に言えば、お札を刷りまくって)尻拭いしたので、ハイパーインフレによって価値が暴落したのです。
 1949年の卸売物価は1934-36年の約220倍にも達しましたが、債券は基本的に、どんなひどいインフレが来ても額面だけ返せばいいのです。従って、ハイパーインフレになれば債券は紙くず同然となり、返す側は全額償還しつつ実質的に踏み倒す事ができます。
 敗戦直後の日本政府は、この大技と戦時補償債務の踏み倒しによって、戦争までの円建て借金を片付けてしまいました。債券を買った側は踏んだり蹴ったりですが、全額戻ってきた以上文句を言えません。
 「日本が朝鮮に投資した残高は今の価値に直せば…」なんて言っている人は、債券の性格を理解できていないか、総督府の財務を無視しています。百年以上前の大黒1円札は、貨幣としては現代でも1円の値打ちしかないのです。

 その一方で、海外に残した債務は日本円建とも債券とも限らないので、日本のハイパーインフレで全部チャラになった訳ではありません。
 精神論で国力を無視した侵略戦争をすると、かくも祟るということです。


本当に捻じ曲げるのが・・・
物事を捻じ曲げるのが得意技だね、韓国という民族のやり口がわかってきた。どこの国も民族もそのようなことはあることはあると思うが極端に偏った、歪曲した発想しかできないのは異常としか言いようがないのではないですか。

日韓首脳会談があるそうですが、慰安婦解決策もってこいと生意気なことを言ってるらしいが相変わらずわかっちゃいない、わかろうとしないおばちゃんだね。言わなくなるまで会談は延期するか、北朝鮮みたいに・・・それでも良いと思う。大した問題じゃない。北朝鮮がもう一つ増えたと思えばわかりやすい。朴も日本に来て色々お話しませんか。あんたの行動、志向がいかに狂人的でクレージーであるか少しはわかるかな。しかしこの人間、民族はもう周り、人の気持ち理解しようとできない哀れな民族なんだろうな。こういう哀れな貧乏民族と無理に仲良くする必要はないのではないか。

国家間は友好を深めることを前提にしなければ、仲良くはなれない。その友好を深める為に前提条件を付けたり、しかもまったく頓珍漢、まったく考慮に値しないことを狂人的志向で言いまくっていては友好を深めていくことはできない、自分たちの見苦しい、汚らしい、恥さらし、憎悪、を拡大することはできてもね。他にやることがなく、他国を憎む事しかできない様じゃどうしようもないのではないでしょうか。

ところで韓国の軍隊がベトナムでおかしたベトナム慰安婦達を暴力的に侵した問題はどうしたですか、朴大統領。

ダヤンさん
当時、鉄道は大兵力を速やかに前線に投入するための軍事技術です。
大日本帝国政府がめ鮮人に敷設運営を認めるわけないでしょう。自分の国を守ることができず、中国に泣きついてしまうような人達に軍事技術である鉄道は不要でした。軍事を不要としている人に軍事技術を任せることは、災いの種を撒くも同然です。
朝鮮人は自分達の力を見誤り、過大評価してしまうことが多いです。
人口と平均寿命で、大方、国民の幸福度は比較できます。が、マズローの欲求段階説によれば、生存欲求、所属・家族欲求、金銭・権力欲求、名誉欲求、自己実現欲求と、個人はどんどん欲求を高度化させていき、幸福のハードルは上げていきます。日韓併合は両班には苦痛だったし、成金となり昔の両班のような有力者になれた少数の人には苦痛だったでしょう。しかし、多数派の庶民は両班にいじめられなくなって生存欲求、所属・家族欲求、金銭欲求を少し満たすことができて幸福だったのです。警官になって棒で武装し権力者風を少し吹かすことができました。朝鮮は貧しく?犯罪が多かったので日本名を名乗りたいという名誉欲求まで満たされました。現韓国大統領の父のように半島を守りたいと日本軍将校になり自己実現欲求の一部まで満たす人も出ました。彼の自己実現欲求の完遂は戦後で、韓国独立しなければなりませんでしたが。
朝鮮は植民地?だったのに、多くの朝鮮人は欲求のままにやりたい放題?でした。おそらく、欲求がかわいい人は幸せだったでしょう。野心家は幸せとは言えなかったでしょう。
アフリカのように奴隷狩りと強制労働によって人口を激減させ血の涙を流すような社会を、日本は朝鮮に作るべきでした。日本はやらなくても、日本人では思いも寄らぬことをねつ造され反省しろと、非難されています。それなら、やって非難された方が真摯に反省できます。
日本人先祖で朝鮮支配を担当していた人々は中途半端に優しくて万死にあたいします。彼らのために、戦後70年、日本人は朝鮮人に恨まれ、いじめられることになったのです。
Re: ダヤン氏へ
まず、李氏朝鮮の借財問題に答えよ。
話はそれからだ。
自分の勝てそうな箇所のみ切り取って話を都合よくすすめるな。
歴史の真実から目を背けるから、教訓を学び得ず同じ間違いを繰り返すのだ。
もうすぐ、韓国は国家破産するが、日本は助けないぞ。
解っているのか?
前回、最後までドルをつないだ日本の銀行を悪者に仕立て上げて、いったいなんなんだ?
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