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ユーロの行方・ヨーロッパの歴史 その3

2011年07月19日

ユーロの行方・ヨーロッパの歴史 その3


 さて先回は476年に西ローマ帝国が、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって皇帝が退位させられて滅びたところまで書きましたが、当時の西ローマ帝国内には侵入したゲルマン人の部族国家があちこちに出来ており、一方、防御する西ローマ帝国側も実働部隊はオドアケルのようなゲルマン人でした。

 ここで、主にローマ帝国内に侵入したゲルマン人は、西ゴート族(スペインへ進出)、東ゴート族(まずイタリア半島へ進出)、ランゴバルト族(そのあとイタリア半島へ進出)、ヴァンダル族(当時の穀倉地帯だった北アフリカへ進出)などですが、彼らはみんな長い距離を移動する間に他民族と混ざってしまい、何よりローマ人(ラテン人)と混血して民族のアイデンティティを失って行きました。

 逆にゲルマン人の中で、ローマ帝国の周辺であるドイツ北部やガリア(フランス)地方に移動したフランク族や、イギリスに移動したアングロ族やサクソン族は、移動の距離が比較的短かったこともあり民族のアイデンティティを失わなかったようです。

 ブリタニア(今のイギリス)に移動したアングロ族・サクソン族は、9世紀に統一国家をつくるのですが、当時のイギリスは殆ど歴史の表舞台に出てこないとんでもない辺境地のようでした。イギリスの歴史は、あとでもう少し詳しく書きます。

 ここで、次のヨーロッパを支配するのがフランク族です。

 フランク族はドイツ北部やガリア(フランス)地方に移動後、さらに小さな支族集団に分かれていましたが、これらの小国を481年に統一したのがメロヴィング家のクローヴィスでした。

 クローヴィスがフランク王国の基礎を築くのですが、なぜ数あるゲルマン人の中でフランク族のクローヴィスが次のヨーロッパを支配することが出来たかと言うと、ローマ教会(カトリック)へ改宗するからです。

 詳しく書くと長くなるので簡単に書きますが、ゲルマン人も当時はキリスト教を信じていたのですが、カトリックとは違う宗派でした。そこへ、クローヴィスはフランク族を全部まとめてカトリックに改宗させたのです。まあ、はっきりと言ってローマ教会(カトリック)の威光を利用するための打算に宗教が使われたのです。

 ただグローヴィスの死後、メロヴィング家は徐々に力を失い、代わって勢力を持つのが宮宰(きゅゆさい)と言われる官僚です。この中で全国の宮宰となってフランク王国の実権を握ったのがカロリング家のカール=マルテルです。

 カール=マルテルの最大の功績は732年にピレネー山脈を越えて攻めてきたイスラム軍を撃退したことです(トゥール・ポワティエの戦い)。610年ころにムハンマドによって興されたイスラム教は、当時すでに広大な領土を獲得しており、スペイン半島では西ゴート族を滅ぼして後ウマイヤ朝を成立させていました。かろうじて、ヨーロッパの中心にイスラム教徒が入り込むのを食い止めたのです。

 カール=マルテルの息子のピピン3世がメロヴィング朝の王を追放し、751年にカロリング朝が成立します。ピピン3世は、イタリアのランゴバルト族の領土を奪ってローマ教会に寄付します。これがローマ教皇領の始まりで、20世紀までローマ教会(バチカン)の勢力の源泉となるのです。

 先程書いたように、フランク族は民族全体でカトリックに改宗したことに次ぐ、ローマ教会(カトリック)に対する大サービスです。

 一方、フランク王国という後ろ盾を得たローマ教会は、再び東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のコンスタンティノープル教会に対して勢力争いをはじめ、その後キリスト教は完全に東西に分裂してしまいます。西のローマ教会(バチカン、カトリックの総本山)と東のコンスタンティノープル(東方正教会の総本山。ギリシャ正教とも言います)となります。

 ピピン3世の息子のカール大帝の時にフランク王国の領土は最大となり、カール大帝は800年にローマ教皇からローマ皇帝の冠を授かります。まさにローマ帝国の威信が復活したのです。

 ここでカール大帝はゲルマン人でローマ人ではなく、フランク王国内にローマがあるわけでもないのですが、この時代のヨーロッパの最大の権威はやはりローマ帝国であり、本来のローマ帝国である東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に対抗して、ローマ教会がローマ皇帝を新たに公認したのです。つまり東西の教会が色んな意味で政治の中心にいたのです。

 紀元前338年にマケドニアに滅ぼされてギリシャは国が消滅したのですが、当時のヨーロッパの東の権威はビザンツ帝国とギリシャ正教で、その中心でギリシャ人はしっかりと生き残っていたようです。

 一方、西ローマ帝国も476年にゲルマン人によって滅ぼされるのですが、当時のヨーロッパの西の権威は依然としてローマ帝国(名前だけです)とカトリックで、その中心はまだローマ人(ラテン人)で、フランク族はその権威を利用して大きくなっていくのです。

 カール大帝の死後、フランク王国は西フランク・東フランク・中部フランクの三国に分裂します。それぞれ今のフランス・ドイツ・イタリアで現在のユーロ構成国の重要国なので、次回でそれぞれを詳しく見てみます。

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