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官僚組織について   その2

2010年12月02日


 10月23日に、「官僚組織について その1」を書いてから、ずいぶん日が経ってしまいました。ずっと続編を書こうと思っていたのですが、何しろ書き始めると膨大な量になってしまいそうで、逆にコンパクトにまとめるのが難しく、そのままになっていました。

 そもそも、何で「官僚組織について」を書くのかですが、語弊があることを承知で言いますと、日本を動かしている最高権力者は官僚組織なのですが、オバマ大統領や金正日首領などのように名前や顔が知られているわけではなく、選挙等によって審判を受けることもなく、時の名目的な権力者を利用して脈々とその地盤を築いてきており、その地盤を守ることを最大の目的としています。
 従って、官僚組織を知らずに日本経済や株式市場などを考えることは出来ないからです。

 その官僚組織が歴史上、いつ頃どのようにして出来上がって行ったのかについて調べてみることも無駄ではないと思います。

 歴史上、最初に官僚組織が姿を現すのは、701年制定の大宝律令です。ここでは、天皇を中心に太政官など二官と大蔵省など八省が制定されています。原型は唐に習っていますが、今の行政法に当たる「令」は、日本社会の実情を反映した形になっています。

 ところで、それまでの日本はどういうことが起こっていたのでしょうか?

 まず、507年に第26代継体天皇が即位します。歴史上確認されている現在の皇室の始祖です。ところがこの天皇は越前の国(今の福井県)の出身とされているのですが、はっきりとしません。ただ継体天皇を越前の国から連れてきたのが、外来人の大伴金村だというのは、歴史学者間でも異論はありません。つまり(現在の皇室までつながる)継体天皇の出目がはっきりとしないのに、天皇位につけた人物(大伴金村)のことははっきりとしているのです。

 日本の歴史上、その後も頻繁に出てくる天皇家の威光を借りて、自己の勢力をのばす例の第1号です。大伴金村は、史実によると、512年に百済に任那4県を独断で譲渡したり、540年に任那が新羅に併合されてしまうなどの外交上の失敗を責められて失脚したとあり、今でいう高級外務官僚のようなものだったのでしょう。

 失脚した大伴金村に代わって勢力を伸ばしたのが、当時外来人でも新興勢力だった蘇我稲目(そがいなめ)です。蘇我氏は今でいう大蔵官僚だったようで、やはり国家の予算を扱う官僚は昔も今も強いようです。
 蘇我稲目は、自分の娘3人を天皇家に嫁がせました。これまた天皇家の外戚の第1号です。蘇我稲目の息子が蘇我馬子(うまこ)です。私はこの蘇我馬子が歴史上、最強の官僚だったと思っています。
蘇我馬子の甥が聖徳太子なのですが、聖徳太子は確かに実在したと思うのですが、歴史上言われているたくさんの功積は、実は全て馬子のものではなかったかという説も結構あります。
 つまり馬子の実績は、後で述べる大化の改新で、天皇親政が始まり新たな権威となるため、外来人が牛耳っていたという史実はまずい、ということで後世に書き換えられたのではないかと思います。

 蘇我馬子は推古天皇の在位中に死亡し、息子の蘇我蝦夷(そがえみし)、孫の蘇我入鹿(いるか)の時代になります。ところがこの2人は、はっきり言って凡庸だったようです。
そこで645年に中大兄皇子(後の天智天皇)を中心として、中臣鎌足(後の藤原鎌足)などが蘇我一族の横暴を改め、天皇親政を取り戻そうと立ち上がり、蘇我入鹿を宮中で暗殺し、蝦夷も自殺させました。いわゆる大化の改新です。
ただここで一気に天皇親政が実現したわけではなく、天智天皇(即位は、大化の改新から23年もたった668年。672年には崩御)、672年の壬申の乱で歴史上初めて武力で皇位を奪った弟の天武天皇、天武天皇の崩御後即位した皇后の持統天皇の時代に徐々に実現していったものなのです。
 
 全くの余談ですが、私は歴史上一番好きな天皇がこの持統天皇です。即位後も自分の息子や孫をなんとか皇位につけようと策略を張り巡らす、非常にエピソードの多い女帝です。

 大宝律令が完成したのは、まさにこの持統天皇の時代なのです。

 そして、その制度化された官僚組織を新たに牛耳っていくのが中臣鎌足を始祖とする藤原家なのです。ところが、この中臣鎌足の出目がどうもはっきりしません。中臣家というのは宮司のようですが、鎌足とは関係なさそうです。

 鎌足の息子が藤原不比等(ふひと)です。大宝律令の編集にもかかわっており、その後の藤原家の栄華の基盤を作った官僚で、歴史上、蘇我馬子に並ぶ最強の官僚だったと思われます。鎌足の出目がはっきりとしないのですから藤原不比等の出目もはっきりとしません。天智天皇のご落胤と言う説もありますが、違うと思います。
この不比等が、自分の出目を控えめに宮司であった(どうもウソ)中臣家としたのだと思います。鎌足は実在はしたものの、大化の改新で重要な役目を果たしたというのは、どうも不比等のでっちあげたストーリーだったと思われます。

大宝律令は藤原不比等が自分に都合のよいように書き上げたものだったのでしょう。

時の権力(天皇)の威光を借りて勢力を伸ばす官僚のルーツは、出目のはっきりとしない藤原不比等だったと思います。

まだまだ続きます。


平成22年12月2日

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