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昭和史最大の謎・近衛上奏文  その4

2012年07月24日

昭和史最大の謎・近衛上奏文  その4

 しばらく中断していましたが続けます。前回の7月19日付け「同、その3」の中で「張作霖爆殺事件」は、関東軍の仕業に見せかけたコミンテルンの犯行の可能性が強いと書いたところ、いくつか異論を含むコメントを頂きました。

 日本が満州事変・支那事変(日中戦争)・大東亜戦争(日米戦争)と引きずり込まれていった最初のきっかけがこの「張作霖爆殺事件」であり、ここから日本の運命が大きく暗転し始めたのです。そこで、もしこれが通説(関東軍の仕業)通りではなかったとすると、その後の「景色」が大きく違ってくると思うのです。

 このシリーズは、あくまでも通史のつもりだったのですが、これだけはもう一度詳しく検証してみます。もちろん「客観的状況」だけを積み上げて書いていきます。


張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説1
張作霖爆殺事件1
Zhang_zuolin_car3.jpg


 現場写真です。上が事故直後の写真(そもそも何でこんな事故直後の写真があるのかも不思議なのですが)、真ん中は少し角度が違うのですが煙も無く鮮明な写真、下が爆破された車両の写真(張作霖が乗っていた車両だとされています)です。

 真ん中の写真で解説しますと、写真の真ん中下部の線路が張作霖を乗せていた北京からの線路(中国の京奉線)で、上の方に見えるのが満鉄の線路です。爆薬はこの2つの線路が交差するところの満鉄の(高架になっている)橋脚に仕掛けられていたとされており、満鉄の橋脚が大きく破損しているのが分かります。下の写真では車両の天井部分が大破しおり、列車より高い(橋脚の)部分に爆薬が仕掛けられていたことになります。

 素朴に思うのは「なぜこんな難易度の高い爆殺方法を選んだのだろう?」です。張作霖を乗せた車両は20両の特別仕立てで、張作霖の座席は特定できていたとしても「必ずそこを通過するときに座っているとは限らない」からです。それよりも走っている列車(奉天駅に近づいているのでスピードは落ちていたはずですが)をピンポイントで爆破して、そこに座っている(だろう)特定の人間を爆殺するのは非常に難しいはずです。

 実は張作霖の席のすぐ近くに、日本陸軍参謀本部付で張作霖軍事顧問の儀我誠也少佐が座っていたのですが「かすり傷」だったようです。これは伝聞なのであくまでもご参考ですが、儀我少佐は事故直後に「張作霖も私もかすり傷で、張作霖は車で自宅に帰った」と報告しています。この時代に車が「都合よく」近くにあったというのも不思議で、張作霖は帰宅後あるいは帰宅中に殺された可能性もあるのです。

 事件が関東軍の仕業とされる最大の根拠が、昭和天皇の激怒と田中義一内閣の総辞職です。しかしこれは田中首相が事件直後に昭和天皇に「首謀者河本らを処罰し遺憾の意を表する」と上奏しておきながら1年も放っておき、再々のご下問に対し「うやむやの中に葬りたい」と答えたので昭和天皇が激怒したのです。

 従って田中内閣の総辞職は事件から1年もたった1929年6月(事件は1928年6月4日早朝)であり、昭和天皇激怒の理由は「関東軍の暴挙」ではなく「田中首相の優柔不断」だったのです。

 首謀者とされる河本大作大佐ですが、自ら書いたとされる「私が張作霖を爆殺した(文芸春秋・1954年12月号)は、実は河本の義弟・平野零児の作で、河本本人の口述であるかどうかが全く確認できません。

 なぜなら河本大作は事件後に更迭されて(予備役に編入されるも軍法会議にはかけられていません)退役し、何と満鉄理事(大変なエリートです)に就任し、その後は国策会社の山西産業株式会社社長となり、終戦後も中国で生活していたのです。

 そして戦後は中国国民党に協力して中国共産党と戦い、1949年に中国共産党の捕虜となり戦犯収容所で1955年に亡くなっています。客観的に考えて日本のマスコミに記事もしくは口述を与える機会は無かったはずです。

 最後に、河本主犯説を決定づけたのが東京裁判における検察側証人の田中隆吉・陸軍少将の証言です。田中隆吉は数々の謀略に加担しており(川島芳子を籠絡したのも含め)、ゾルゲとも交流があり一番コミンテルンに近かった軍人ですが、自らは戦犯指定を免れています(注)。そして東京裁判では次々に検察側に有利な証言を行い、何人かのA級戦犯の有罪判決に「決定的な影響を与えた」人物です。

 この田中証言が戦後において「決定的証拠」とされているのです。

 以上から本誌は「確かに爆薬を仕掛けたのは河本大佐・東宮大尉であるが、これは単なる警告の意味で暗殺の意思はなかった。ところがその情報を何らかの形で入手したコミンテルン(あるいはソビエト特務機関)が、それに乗じて暗殺した」と推測します。


(注)実名は挙げませんが、本誌がコミンテルンに近いと「推測」する軍人は、すべてA級戦犯となっています。その辺はGHQも調査していたはずなので、田中隆吉は「コミンテルンと米軍の二重スパイ」の可能性があります。

 佐藤優氏は評価されているようですが、本誌は「日本陸軍最悪の軍人」だと思います。

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コメント
本日は原稿の出来上がりが遅く、また写真を用いたため、アップされた後も混乱して申し訳ありませんでした。

さらに、最後の結論部分(注の部分ではありません)がしばらく訂正前の原稿のままになっていました。

現在は直っていますが、非常に重要なポイントですので、ぜひご確認ください。
現場写真ですが、高架側が京奉線、地上側が満鉄線です。張作霖が乗車していたのは4両目で事故直後は、仰向けになっており非常に高性能爆薬が黄色爆薬と言われています。大阪の砲兵工廠より、朝鮮工兵隊経由で現場に運び込まれたようです。日本人顧問は現場より手前の駅で下車しています。鋼鉄製の鉄板を巻きつけた特殊装甲列車を単に爆破するのではなく、張作霖を完全に抹殺するためにはそのぐらいの準備が必要だったのでしょう。現場に残った便衣隊の死骸は、前日奉天市内の阿片窟より連れ出した阿片中毒者を日本人経営の銭湯で入浴させたのをそこの主人が目撃し、翌朝現場で確認し日本領事館に通報し事件が発覚したのです。従ってコミンテルンの仕業ではありません。コミンテルンが関わったのは、横道河子の軍用列車爆破事件などです。ソ連の二重スパイヴェスパの仕業といわれています。田中隆吉は、二重スパイではありません。リットン調査団の目を向けさせるため板垣中将の指示で、上海で事を起こしたのは事実ですが。
関東軍の仕業とされる根拠は天皇の怒りや総辞職ではなく、爆破に使用した電線が橋台から日本軍の監視所までひかれていたことである。それがあってお怒りや総辞職につながるのである。当初は国民党に罪をなすりつけようとしたのだ。
Name西村様

迷惑コメントに振り分けられていました。
承認が、遅くなりまして申し訳ありませんでした。
西村様から頂いているコメントについて付け加えさせていただきます。

 再度、現場写真を最近の写真と比べてみたのですが、やはり満鉄線が上で京奉線が下です。現在も両方の線路は使われており交差点もそのまま残されています。

 また直前で下車した日本人顧問は町野武馬のことで、儀我少佐はそのまま乗車して爆発に巻き込まれたはずです。当時現職だった儀我少佐とは違い予備役に編入されていた町野は、それだけ張作霖の信頼が厚く「何か依頼されて下車した」可能性が強いようです。

 何れにしても調べれば調べるほど「謎」の事件です。
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