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検証!東京裁判 その4(最終回)

2013年08月16日

検証!東京裁判 その4(最終回)


 本日(8月15日)は68回目の終戦記念日です。このシリーズも最終回とします。

 東京裁判は1948年11月4日に判決の言い渡しが始まり、11月12日に被告1人1人に刑を宣告して終了しました。一審制・控訴権なしの軍事裁判なので、これで確定です。ウェッブ裁判長は1212ページ(英文)の判決文すべてを数日かけて朗読しました。

 しかし朗読された判決文はイギリス・アメリカ・中華民国・ソ連・カナダ・ニュージーランドの6カ国の判事による多数意見だけでした。裁判長であるオーストラリアのウェッブ判事とアメリカ領フィリピンの判事は別個意見書(判決そのものは支持)、オランダとフランスの判事は一部の判決に反対する(つまり軽すぎるという)少数意見書、またイギリス領インドのパール判事は全員無罪の少数意見書を提出したのですが、これらは朗読されませんでした。

 つまり最後まで「寄せ集め」の裁判官で、意見の一致がみられなかったことになります。

 判決は公判中に死亡した2名と精神病で免訴された1名を除く25名全員が有罪となり、そのうち陸軍関係者の東条英機・土肥原賢二・板垣征四郎・木村兵太郎・松井石根・武藤章と、元首相・広田弘毅の計7名が死刑となりました(敬称略、以下同じ)。

 対米戦争開戦時(1941年12月8日)に首相兼陸軍大臣だった東条英機と、特務機関トップの土肥原賢二、満州事変を主導した板垣征四郎あたりは「やむを得ない」としても、一方的に南京大虐殺の主謀者に仕立て上げられた松井石根、開戦時の軍務局長ではありながら開戦に慎重だった武藤章、対米開戦のはるか以前に首相だった広田弘毅の死刑は、明らかに整合性を欠きます(木村兵太郎については後で書きます)。

 少し横道にそれるのですが、対米開戦(いわゆる真珠湾攻撃)が宣戦布告なしの騙し討ちだったとして、東京裁判の判決に影響を与えた可能性があります。

 しかし宣戦布告文は十分な余裕をもって在米の日本大使館に暗号電文で届けられていました。それを何と担当の日本大使館員が前日の歓送会で飲みすぎて遅刻し、来栖・野村両大使が米国務省にやっと届けたときは真珠湾攻撃が始まっていたのが真相です。しかし外務省も在米大使館も、その責任を問われたことは一切ありません。

 さて、対米戦争直前の1941年10月に首相兼陸軍大臣となり、さらに外務大臣・軍需大臣・参謀総長なども兼任して権力が集中していた東条英機ですが、その周辺を三奸四愚などといわれる「凡将」「愚将」が取り囲みます。

 三奸の1人の鈴木貞一と、四愚の中の木村兵太郎と佐藤賢了は、あまりにも東条英機の威を借りすぎたので「大物」と錯覚されてA級戦犯となりました。

 そのうちの木村兵太郎は対米開戦時の陸軍次長(No2)だったために死刑になりました。しかし木村は終戦直前のビルマ方面軍司令官で、イギリス軍のビルマ侵攻を聞くと前線部隊を放置したまま逃げ出します(しかも逃亡途中に大将に昇進)。前線の指揮系統は大混乱となり多数の犠牲者を出すのですが、この「敵前逃亡」とA級戦犯指定とは何も関係がありません。

 しかし東条の側近にはA級でもBC級でも戦犯とならず、軍人年金をもらって生きながらえた「とんでもない軍人」がいます。

 その代表が、マニラの前線から「ウイスキーと芸者たち」だけを飛行機に乗せて台湾に逃亡し、見捨てた残留部隊の大半を戦死させた富永恭次(陸軍中将)と、ビルマで無謀のインパール作戦を「自分だけ安全な保養地にいて」指揮し、7万人以上の日本兵を死に追いやった牟田口廉也(陸軍中将)です。

 それから東京裁判でも「とんでもない証人」が登場します。満州国皇帝だった溥儀です。溥儀も終戦時に家族らを見捨てて脱出しようとしたところをソ連軍に捕まり、そのままハバロフスクで拘留されていたのですが、そこから証人として出廷します。

 そこで何と「関東軍に脅迫されて皇帝になった」と証言します。しかし溥儀は自らが署名した「宣統親書」をブレイクニー弁護人に突き付けられて狼狽し「偽造だ」と叫びます。脅迫されて書かされたといえばよかっただけなのですがね。それが「ラストエンペラー」の本性ですが、これで関東軍の満州国建国が「犯罪」とされてしまいました。

 この辺りでこのシリーズを終わりますが、最後に東京裁判の主宰者であったマッカーサー自身が後年、「東京裁判は誤りだった」また「大東亜戦争(対米戦争)は日本の自衛戦争だった」と発言している事実が、日本では全く無視されていることを付け加えておきます。


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コメント
東京裁判史観の国際的見直しは、オバマ広島慰霊可能性等で機運が出ている。日本は理論整理して備えるべきでしょう。
武藤章の甥の孫です。
武藤家の男性はほぼ戦死or処刑されてしまって祖父もシベリアに何年も抑留されていていました。仲間が順番に裁判で処刑されていくのを見て、通訳が出鱈目いっているのではないかと思った祖父は通訳なしで裁判を受けて、なんとか処刑されずに帰国できたそうです。
個人的には章さんが処刑されたのは残念ですが、勝負に負けたら幹部が責任を取るのは仕方ないかとも思います。
日米開戦通告の遅れ
いつも興味深く拝見させていただいています。日本人の一人として、東京裁判の欺瞞性については同感する部分が多いです。但し、サンフランシスコ平和条約で日本政府として、東京裁判を受け入れているので、日本政府がそれを否定することは外交問題になります。日本人としては、歴史を正しく認識しつつ、外交上の妥協と現実を踏まえて考えていかなければらない問題だと思います。
ところで、本筋から少しずれますが、日米開戦の通告の遅れに関しての記述が気になりましたので、コメントしました。在米日本大使館の不手際によって日米開戦通告が遅れたというのが、通説というか俗説として広く流布していますが、それは検証されている事実ではなく、「何故通告が遅れたか」に関する決定的な結論が確定しているわけではありません。むしろ最近の研究では、「日本陸軍が電文の最終部分(電文は複数に分けて打電されている)の発電を12時間保留する発電遅延工作を行った」とするものもあります。(「開戦神話」井口武夫 中公文書)同書では、奇襲の意図を感知されるのを恐れて電文を故意に遅らせたのではないかと結論づけています。
ここからは、私の想像ですが、A級戦犯とされた東郷元外相の罪が重くなることを恐れた外務省が正しい情報を出さなかったこと、「自分たちは卑怯なだまし討ちをしたわけではない」と思いたい日本人の集団心理が、「大使館の不手際」「事務上のミス」を理由とする俗説が通説と認識されるまで広く流布する結果になったのではないかと思います。
なお、遅れて手交した外交文書は「交渉打切通告」であり、ハーグ条約で定める「開戦通告」「最後通牒」ではなかったため、仮にこの手交が真珠湾攻撃の前であったとしても、ハーグ条約違反との非難を免れえなかったのではないか、との指摘もあることを付記します。
幹部の責任
武藤章の甥のお孫様の
「勝負に負けたら幹部が責任を取るのは仕方ない」
という意見が説得力があります。

歴史のタブー、たらればですが、逆の立場でも(日本が勝利していたとしても)米国や英国に対して同じようにA級戦犯を指名して、処刑していたのではないでしょうか。

歴史は繰り返すといいますが、敗戦国として、二度と愚かな戦争を繰り返してはいけないと強く思います。
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