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イスラム教の話

2011年02月14日

イスラム教の話

 2月11日にエジプトのムバラク大統領が辞任し、暫定的に軍に権限を委譲しました。

 エジプトはアラブの大国で、イスラエルと国交を結んでいる唯一の国であるため、もしイスラム原理主義などに勢力が移れば、世界情勢にとって大きな波乱になるところでしたが、とりあえず一安心で、週末には原油価格も下落しました。

 このニュースについては、数多くの解説が出ていますので、割愛します。しかし、エジプトを含むアラブ一帯に広く信仰されているイスラム教について考えてみることにします。

 現在、世界にイスラム教徒は約12億人以上いると言われています。これは単一の宗教としてはカトリックと並ぶ最大の信者数です。(カトリックにプロテスタントや東方正教会などを加えたキリスト教全体では約21億人と、世界の人口の3分の1を占めます)

 人口に占めるイスラム教徒の比率がほとんど100%に近い国は、中東諸国、アフリカ北部、アジアではパキスタン、マレーシア、インドネシア、旧ソ連の中央アジア諸国等です。比率は低くてもインド、中国には多数の信者がおり、欧州ではスペイン、旧ユーゴスラビア南部、ドイツ、英国などにもかなりいるようです。

 イスラム教徒は、六信五行(詳しくは省きますが、1日5回の礼拝、年1回の断食、一生1度のメッカ巡礼など)を通じ、生活に占める信仰の度合いが、他宗教に比べて圧倒的に強く、また他宗教を非難・攻撃する度合いも強いのです。従って、これらの国の政治に与えるイスラム教の影響も非常に強いと言えます。

 イスラム教は610年にメッカの名門ハシム家のムハンマド(マホメッド)によって始められました。ムハンマドは教祖としてではなく、唯一神アッラーの啓示をうけた預言者として、アッラーへの帰依を説いたのです。

 ムハンマドはユダヤ人の始祖アブラハムの庶子イシュマエルの子孫だとされています(平成22年12月14日付け、「ユダヤ人について」を御参照下さい)。従ってユダヤ人もアラブ人も祖先が同じで、イスラム教もユダヤ教も同じ一神教なのです。

 ユダヤ教から派生していったのがイエス・キリストを唯一神(ヤハウェ)の生まれ変わりとするキリスト教で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は親戚のはずなのですが、それぞれ変遷の中で対立することになっていきます。

 特にキリスト教は、イスラム教をイエス・キリストの教えを勝手に歪曲したものとして古来より敵対心を持ち、11世紀以降、何度か聖地エルサレム奪回のためと十字軍を派遣したりしています。

 ユダヤ教も、イスラム教はユダヤ教を勝手に歪曲した新宗教と非難しています。

 さて、ムハンマドに話しを戻しますが、もともとメッカの豊かな商人だったのですが、アッラーへの帰依を説くものの、最初は迫害を受け、622年にメディナに移住します。これをイスラム教ではヒジュラ(聖遷)といい、この年をイスラム暦の元年とします。

 ムハンマドは、またたく間にメディナの住民をイスラム教に改宗させ、メッカも取り戻し、程なく今のサウジアラビア全土を平定します。軍人としても非常に優秀だったようです。

 ムハンマドは632年に死にますが、その血筋を引く者として、イラン革命の指導者ホメイニ師や、ヨルダンとモロッコの王家がいます。ムハンマドの生きた年代は、日本で言うと聖徳大使のころです。

 ムハンマドの死後、その地位はイスラム教徒で選ばれたカリフ(最高権威者)が統治する正統カリフの時代に入ります。

 その間に651年にササン朝ペルシャ(今のイラン)を滅ぼし、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)領であった、今のシリア、エジプトなども加えて、広大なアラブ帝国を築きました。ユダヤ人が唯一神ヤハウェにより与えられたイスラエルの地も、アラブ帝国にくみこまれました。

 アッラーの言葉をまとめたのがコーランで、やはりムハンマドの死後に体系化され、650年ころに確立したと言われています。現在でもイスラム法学者というのは、イスラム教徒のそれぞれの行動がコーランの教えに背いていないかを判断する人のことを言います。
 
 661年に第4代カリフのアリーが暗殺され、シリア総督のムアーウィアがカリフとなりウマイヤ朝を開くのですが、それを支持するのが現在でもイスラム教徒の9割を占めるスンニ派です。

 それに対し、アリーとその子孫を正統なカリフとするのがシーア派で、今のイラン・イラクが主です。じゃあ、なぜイランとイラクが長く戦争をしていたかというと、イラクのフセイン元大統領がスンニ派だったからです。

 ウマイヤ朝になっても領土の拡大は続き、8世紀初めには、東はインダス川流域まで、に西は北アフリカを経てイベリア半島(現在のスペイン)まで進出、フランク王国まで侵入したのですが、これは食い止められました。

 これを食い止めたのが、後にカロリング朝を開くピピン3世(2月1日付けの「バチカン銀行の闇 その1を御参照下さい)の父親のカール=マルテルなのですが、この時ウマイヤ朝が勝っていれば、その後の世界の歴史が大きく変わっていたはずです。

 その後、イスラム教の国家が幾つも作られ、滅んでいくのですが、その中で最強の国家だったのが、13世紀末に興ったオスマン・トルコです。

 オスマン・トルコは1453年にビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅亡させ、首都コンスタンティノープルをイスタンプールと改称して首都とし、聖地メッカ・メディナを領地にして、スンニ派イスラム教の擁護者としての権威を確立しました。

 その領土は、スレイマン1世のときに、ドナウ川以南の東欧・バルカン半島や北アフリカも含めて最大となり、国家としては20世紀初頭まで存続しました。

 こうやって見ていくと、イスラム教徒は唯一神アッラーの元に団結し、戦闘にも長けているのですが、宗派の違いなどもあり必ずしもイスラム教徒として全体的にまとまっているわけではありません。またキリスト教徒やユダヤ教徒との対立も深くなっています。

 イスラム教徒はアラブ人だけではないのですが、アラブ情勢を考えるとき、このイスラム教の基本的なところを理解しておく必要があると思うのです。

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